子供の頃、近くの山が遊び場で、毎日のように近所の同世代の友だちと一緒にそこで遊んでた。この山の通常ルートとは別の、獣道や藪をつっきった先には、謎の廃屋があり、俺たちにしてみれば格好の遊び場だった。小さな山だったから、俺たちは道のあるとこ無いとこ全て知り尽くしていた。山はある意味、俺たちがヒエラルキーのトップでいられる独壇場だった。
しかし、俺たちにも天敵がいた。それが”けんけん婆あ”だ。廃屋に住み着いているらしい年取った浮浪者で、名前の通り片足がなかった。けんけん婆あは、俺たちに干渉してくることはなかったが、俺たちは山で遊んでいるとき、よく視界の端で捉えては気味悪がっていた。しかし、好奇心旺盛な子供にとっては、格好のネタであったのも確かで、どれだけけんけん婆あの生態を知っているか、どれだけけんけん婆あに気付かれずに近づけるかが、
一種のステータスになっていた。俺の知る限り、どちらかがどちらかに声をかけた、なんてことは皆無だった。
その日、俺たちはかくれんぼをすることになった。隠れることのできる範囲は山全体。ものすごい広範囲のように聞こえるが、実はこの山でまともに隠れることのできる範囲というのはごく限られている。どちらかというと、鬼はそれら隠れることのできる場所を巡回するだけという、隠れる側としてはほとんど運次第な遊びだった。で、俺はその定番の隠れ場所のひとつである、廃墟に隠れることにした。廃墟の壁には錆付いたトタン板が立てかけてあり、俺はそのトタン板の下に隠れていた。耳を澄ましていると、「○○ちゃんみーつけた!」という声が遠くの方でしたりして、その声の方向から、今鬼がどこにいるのかを推察しながら、ドキドキしていた。鬼のいる場所が次第に近付いてきて、あっち行け!でもそろそろ次は俺かな、とか思っていたとき、「けんけん婆あが基地ンほうに行ったぞー!!」という鬼の叫び声が聞こえた。
基地というのは、俺の隠れている廃墟のことだ。(俺たちは秘密基地と呼んでいた)しかしこれは、カマをかけて隠れている人間を燻り出す鬼の作戦かもしれないし、例え本当でも、これはけんけん婆あをすぐ近くで観察して英雄になれるチャンスだ。そう思って、俺はそのまま隠れ続けていたんだ。
とさっ とさっ とさっ
まさに『けんけん』するような足音が聞こえてきたのは、そのときだった。この時点でもう後悔しまくり。
とさっ とさっ とさっ
片足で枯葉を踏む音が、もう廃墟のすぐ前、俺から5メートルほどしか離れていない場所まで近付いている。
見つかったら殺される!そんな考えに取り付かれて、俺はもうマジビビリだった。
そこで俺はよせばいいのに、いきなり隠れ場所から飛び出して猛ダッシュで逃げる、という選択肢を選んだ。もう飛び出すやいなや、けんけん婆あのほうは絶対に見ないようにしながら、必死で友だちの所まで逃げた。で、事情が良く分かっていないみんなを、半分引きずるかたちで下山。そこで始めて詳しい事情をみんなに説明した。
でもやはり、あの恐怖は経験した本人にしか分からないわけで。逆に友だちは、そんなに近くまでけんけん婆あに近付いたことを、「すげぇすげぇ」と褒め称える始末。俺もガキだったからすぐに乗せられて、恐怖なんて忘れて、多少の誇張を交えつつ誇らしげに語りまくった。(実際は、けんけん婆あの姿は見ないまま逃げ帰ったわけだし) でも、その話をすぐそばで聞いていたのがうちの母親。「そんな危ないことは絶対にしてはだめ」とめちゃくちゃ怒られた。
その晩に俺の母親は、他の両親や近所の大人、(婦人会の人たち)それにこの山の所有者の人を集めて、話し合いを開いた。なんでも、子供の遊び場付近に浮浪者の人が寝泊りしているのは、何があるか分からないので危ない。だからといって、子供に山で遊ぶなというのは教育上良くないので、ここは浮浪者の人に出て行ってもらおうと。
大人は山に浮浪者が住み着いているということを知らなかったらしく、皆すぐに同意。もともと私有地の山だったので話も早く、所有者の人を先頭にぞろぞろと山に出かけていった。でも結局会えなかったらしく、1時間もすると帰ってきた。廃墟の入り口に退去願いの張り紙だけして、戻ってきたらしい。
でもここで、俺たちは訝しげな顔をした大人たちに、本当に浮浪者が居ついているのか、ということを質問された。子供の俺たちにとっては考えもつかなかった疑問の数々。まず、例の廃屋は、屋根と壁の半分が腐り落ちている状態で、浮浪者といえどとても人間の住める場所ではなかった。暖を取ることはおろか、雨風すらしのげない。生活の跡らしきものも見当たらなかったらしい。
それにその場所。『獣道や藪をつっきった先』と書いたが、途中にかなりスリリングな崖や有刺鉄線で遮られた場所があって、健常者でも辿り着くのに一苦労だ。(俺たちは有刺鉄線の杭の上を上っていた)ましてや片足の老婆が、日々行き来できる場所ではないと。
また、大人は誰もけんけん婆あを見たことがないらしい。特に山のふもとに住んでいる人間なら、必ず目撃しているはずなのに、誰一人として見た人間がいない。断言できるが、あの山で自給自足することなんて不可能だ。
そんなこれまで考えもしなかった疑問に困惑しているとき、俺の父親が帰ってきた。話を聞いた父はすぐに、「なんだあの婆さん、まだいたのか……」初の俺たち以外の目撃者。
父が何人かに電話をかけると、近所のオッサン連中が2人ほどやってきた。父を含め3人とも同世代の地元の人間で、子供の頃よくこの山で遊び、俺たちと同じように、けんけん婆あに遭遇していたらしい。なんと”けんけん婆あ”という呼び名は、当時からあったようだ。懐かしそうに思い出を語る3人だったが……
ここで、山に入る前から黙りがちだった山の所有者のひとが、「実は……」と口を開いた。彼はいわゆる地主様の家系で、彼の祖父の代には、家に囲われていた妾さんがいたらしい。しかしあるとき、その女性は事故か何かで片足を失った。それが原因で彼女が疎ましくなった地主は、女性を家から追い出して、自分の持っていた山に住まわせたらしい。
それ以降ずっと山に住んでいたらしいが、「そう言えば死んだというような話も聞かない」と。ただそれが本当だとすれば、けんけん婆あは軽く150歳を超えていることになってしまう。それに例の廃屋も、もとはなんだったのか分からないが、30年ほど前は山を整備するための道具置きとして使われていて、その時点ではすでに誰も住んでいなかったと。さっきまではしゃいでいたオッサン3人組も、婦人会の人たちも、これを聞いて絶句。地主さんがぽつりと、「明日、宮司さんに頼んで御払いして貰うわ」とつぶやき、静かにお開き。普段気丈な両親も、目に見えて沈んでいました。
それ以降、私たちはけんけん婆あを見ることはありませんでした。彼女が何だったのかは、未だに分からず終いです。はたして150歳を超える老怪だったのか、それとも何かの霊だったのか。ただ未だに、あの『かさっかさっ』という足音を忘れることができません。今でもあの山で耳を澄ますと、どこか遠くのほうからこちらに向かって近付いてくる、片足の足音が聞こえるようで、怖くてなりません。