母が幼い頃、ある団地に住んでいた時の話。
1番上の姉(伯母)と母が外で遊ぼうと階段を降りていくと、一階の団地の入口に見知らぬオバサンがいた。その団地には、郵便受けが並ぶ壁の向かい側に共用の手洗い場があり、オバサンはそこで水を流してなにやら作業をしていた。しかしなんだか様子がおかしい。そのオバサンが異様に小汚く、紺色のモンペを履いていたらしい(当時既にモンペを履く人などいない)。母が挨拶をしても返事もせず、母達を見ようともしない。
母達は不審に思いながらも、オバサンの後ろをすりぬけ外へ出ようとすると、
「もどれ」
オバサンが無愛想に言ったらしい。そこで母がもう一つの異変に気付いた。その頃はまだどの家も、玄関のドアを開けっ放しにしていた時代。階段を降りてくる時も、開いたドアから物音や子供の声が聞こえていたのに、その時は何の物音も聞こえなかったらしい。
母達が立ちすくんでいると、
「もどれ!!!!」
凄い声で怒鳴ったそうだ。恐ろしくなった二人は、手を繋いで4階の自宅まで駆け上がったが、やはりさっきまで開いていたドアが、どこも閉まっていたらしい。
二人は無事に家に帰り、家にはなんの異変もなかったらしいが、あまりに不思議で恐ろしかったせいか、伯母と母は大人になるまで、一度もその話を口にしなかったそうだ。なんだか文章にするとたいした事ないけど、子供の頃にこの話を聞かされてとても恐かった。母は、「異次元(母はそう言う)に行ったら、とにかく元にいた場所に帰りなさい」と、幼い自分によく言っていた。