愛知県某郡の超ド田舎出身なんだけど、うちの字(あざ:昔は村単位だった場所)とお隣の字にだけ、ちょっと変わったお雛様の風習がある。
・息子しか産まれなかった家庭はそこで風習終了。とくに祟りなんかは無い。
・娘が産まれたら、お雛様とお内裏様の二つのお守り人形を作ることができる。生後どのタイミングで作ってもOK、遅いけど大人になってからでもOK。
・母親が「作る」行為自体で効果があるので、現物を祀ったり持ち歩いたりする必要は無し。
・お守り人形をもらった娘が結婚したら、お内裏様は夫となった人を自動的に守る。例えば離婚等して再婚したら、新しい夫を自動的に守り替える。
・お守りをもらった娘はそこそこ普通に幸せな子供時代を過ごせたあと、17歳以降は超絶な幸運が訪れる。効果は死ぬまで。
・お守りをもらった娘が母親になって、娘を産めばお守り人形を作ることができる。息子しか産まれなかったら、そこで終了。
・女児を産んだのに作らなかったりしても、とくに祟りなどは無し。
私の母は普通に外からきたお嫁さんなので、私はお守り人形もらってないです。父の妹は娘(私から見て従姉妹)を産んだので作りました。一番身近な従姉妹の超絶順風満帆な実例を少しあげます。
・高校まではすごく普通で、やや地味なくらいだった。
・難関国立大学合格、在学中にミスキャンパスに選ばれるほど美しくなった。
・とある専門分野の展覧会で何度か入賞して、大きい展覧会の副賞?で留学。
・とある会社の経営者と結婚。結婚後に旦那さんの会社が支社を4社増やす大躍進。現在超絶お金持ち。
・性格は超優しくて菩薩のよう。私と私の妹の受験勉強も熱心に教えてくれてました。
本人は「人形とか信じてないけど、ほんとに17歳から急に人生がパーッとひらけた気がする。メガネだったしデブだったし、足に生まれつきの大きい痣があったのに、17歳になったあと急に視力回復して、生活習慣変えてないのに綺麗に痩せて、成人式くらいには足の痣が完全に消えてた」と言ってました。
風習と偶然と思い込みのコラボかなぁとも思うけど、喪女の私もお守り人形欲しかった・・・。
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今からでも遅くないんじゃないの?
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私の母は、遠方から嫁いできて実家の字出身ではないので、母自身がお守り人形を作ってもらってない→娘を産んでも作れないのです。条件が揃わないのいけないから、人形作れる人がどんどん減ってるみたいです。でも娘さんが遠くに嫁いでも、嫁ぎ先で女児産んで作るのはOKです。なので、さっきの従姉妹の姉ちゃんも、女の子を出産したら嫁ぎ先で作ってOK。偶然だしただの風習だと思うけど・・・実家のお隣さんの娘さん(私の一個下)も作ってもらってて、従姉妹の姉ちゃんと似たような華やか人生になってたのでわかってはいるけどうらやましいす。
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興味深い風習ですね。視点を変えると、従姉さんは17歳になるまでの間、視力や足の痣、太った体型などで、本来の魅力や能力を封印されてきたという見方もできるね。人形というのは本来、人間の身代わりとなって厄を溜める役割を持つ事から、娘やその配偶者の一生分の災厄を人形に吸い取ってしまうのかな?と、ふと思った。もし差し支えなければ、その地域出身の女性が亡くなった時に人形をどうするのか、書いてもらえますか?納棺の時に一緒に入れるとか、お寺や神社などに納めて供養してもらうのかな?
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私はお守り人形を作ってもらえなかったので、聞いた話ばっかりで、もしかしたら詳細が間違っているかもしれないですが。ほとんどの話はおばあちゃん・おばさん・従姉妹・隣近所のおばちゃんたちに聞きました。「お母さんが娘さんを想って心を込めて手作りする」という行為自体でお祈りが完了?するので、作ってもらったはずだけど引越し等でなくしちゃったり捨てちゃったりしても、OKってわけじゃないけど関係ないとのことです。そのかわり職人さん等他の人に注文したら意味がなくて、着物のハギレでも毛糸編みでもフェルトでも和紙でもなんでもいいので、お母さんが一人で作らないと駄目。(材料は買ったものや余ってるものでもOK)
捨てるとか、もうボロボロになって置いておいてなくしたらいやだなーとなった人は、うちから徒歩3,4分のとこにあるおみやさん(神社)で、お正月の早朝にみんなで輪になってお餅を焼いて食べる風習があるので、その時にいっしょに焼く場合もあるそうです。うちのおばあちゃんは、かなり前におみやさんで焼いたって言ってました。伊勢湾台風の後のお正月って言ってたんで、かなり前じゃないかな。おばあちゃんは伊勢湾台風で家が流れたけど、家族全員無事で、高価な家財道具を入れた箱が流されても届けてもらえて、一番大事なものが何もなくならなかったそうです。家を前より大きく建て直して、それをキッカケに商売を始めたら繁盛したので、建築した借金はあっというまに返せたと言ってました。おばあちゃんのお雛様はほとんど敷地から流されなかったけど、びしょ濡れボロボロになってしまったから仕方なく焼いたそうです。昔は一緒にお棺に入れてた人もいたのかなぁ・・・?知らないので今度聞いてみます。
「なんで17歳からなの?」と聞いたことがあるんですが、おばあちゃんは「嫁にいける歳になるまでは別嬪さんじゃないほうがええが」と言ってました。その時は、17歳までの青春も大事じゃんと思っていたけど、今思うと、昔はそうなのかな?と。あと、同じ字のご近所はすごく大きい観光グランドホテルで、女将さんが入り婿をとってるので、多分お守り人形もらってるんじゃないかなと思いました。ちなみにとっても美熟女女将さんです。ちなみにうちの実家というか字は海に直面してる(家 国道 海 という配置)なので、伊勢湾台風で家族全員助かるというのは、かなり運がいいんじゃないかなと思います。当時避難したであろう奥の院(集落の奥にあるお寺さん)も、全部なんもなくなったか壊れたって言ってたので。人形のおかげかわからないけど、すごいな。
実家にお米を貰うついでに、お守り人形や神社の事をおばあちゃん方に聞いたり、人形を焼いたおみやさんで調べたりしました。由来は古すぎてもう正確にはわからないそうですが、社号標の歴史には、1186年(文治2年)に建てられたと書かれてるそうです。多分その頃は神社がかかわる形でお雛様の風習があったんだけれども、明治になってすぐに神社の名前を替えなきゃいけなくなって、その時に神主さんが替わる(神様ごと換える?増やす?)という事があったそうです。私も今回たまたま調べるまでは、今の普通の人名苗字みたいな神社名しか知らなかったんですが、元は光の神様・天神様・神様の明かりをまつってたんだそうです。
それと、今の字(あざ)の名前も普通にありがちな地名に変わってますが、昔は『神様がやってくる扉の入り口』という意味の地名だったそうです。うちと隣の字が2つ合わさってその地名だったので明治に住所とか戸籍とかをちゃんと整備したときに変わったんじゃないかなーと言ってました。今は全部で10の神様をまつってますが、どれも有名な見慣れた神様です。(コンピラさんとか)お雛様に関係ありそうな神様の名前が見当たらないので、本当にこれがなくなっていく最後の風習の名残なんじゃないかなと。調べたら、ますますお雛様もらえなくてガックリしました・・・