知人Kの話。その寺の存在を知ったのは小学校の社会の授業で、町の地図を見て現地まで行く、という課題を与えられた時だったという。Kは町の東端にある、標高5~600mのT峰の山頂付近に卍マークを見つけ、日曜の朝から出発した。
山道を闇雲に登って山頂を目指すという無謀な道程は、想像以上にきつかったが、いざとなれば野宿だ!なんて冒険気分だった。「幸い無事に着けたが、今思えば怖いことだ」と話していた。古寺は荘厳で、境内には清水の涌く水場があり、「水を飲ませて下さい」と声をかけると、白い顎髭の住職が笑顔で出て来たそうだ。
訪ねた理由を話すと、地方に伝わる昔話や寺の謂れを聞かせてくれ、畑で採れた果物を御馳走してくれた。帰りは近道を教わり、スムーズに下山もできた。Kは心地良い疲労を感じつつ、来週も訪ねようと思った。「最近は訪ねてくる者もない…」と話す住職が印象的だったのだ。野菜や水があり、食うに困らないとはいえ、不便なことは子供でも想像できた。次は住職が好物と言った饅頭を持って行こうと思った。
家に戻り寺の話をすると、父親が怪訝な顔で、「その寺はずいぶん昔になくなり、町にあるJ寺が代わりに建てられた物だ」と言った。
白髭住職はJ寺の先代で、寺の移転計画に反対だったそうだ。結局、移転は決定したが、妙なことに、それまでこんこんと涌いていた清水が見る見る枯れ、住職も家移りを待たずに亡くなったという。住職は「清水は山神様に頂いた大切なもの。昔、集落を干ばつの危機から救ってくれた命の水だ」と彼に話していた。Kの頭の中を住職の言葉が巡り、訳もわからず涙が溢れた。幽霊を見た怖さからではなく、住職が寺を守り続ける姿勢に、子供ながら感動したそうだ。
これは、実家が寺でもないのに僧侶になったKに、理由を聞いた時にしてくれた話。