父から聞いた話。
その日、父がテントを張ったのは、崖?急斜面?(石がゴロゴロしている)を下った所にある水場の近く。眠っていると、ガラガラと斜面を駆け下りる音が聞こえて来る。こんな時間に降りてくるとは大変なこった、と思いつつ、うとうとしていたが、音はなかなかやまない。ああ、結構な人数がいるんだなぁと思いながら、懐中電灯を持って外に出た。外に出ると、他のテントからも顔を覗かせている人がいた。その人と一緒に、懐中電灯で合図を送る。「気をつけろよー!こっちだー!」と声を掛ける。男達(女もいたかもしれないが暗くて見えない)は、岩場をガラガラと音を立てながら下ってくる。どうも学生の様に見えたそうだ。立派な装備を持っている。
しばらくして全員が降りて来た。登山部の学生達だったそうだ。学生達は「助かりました」「ありがとうございます」と口々に言うと、水場に向かった。リーダー格らしき男に、「今からテント張るの?手伝おうか」と声をかけると、男は「大丈夫です、本当にありがとうございました」と微笑み、同じ様に水場へ向かっていった。父はしばらくその姿を眺めていたが、明日も早い事を思い出した。一緒に学生達を誘導した男性に声をかけ、テントに戻った。
朝、目覚めてテントを出ると、学生達の姿がない。もう出発したのか、元気だなあ、と思いつつ煙草を吸っていると、同じ場所でテントを張っていた初老の男性が声を掛けて来た。
「あなた、昨日の夜、学生さんに会ったかね」
「え?ああ、はい。夜中に崖を降りる音が聞こえたので。 若い奴は無茶をしますね。もう出発した様ですが」
答えると、男性は「そうですか」と言って渋い顔をした。父は意味が分からずだったが、しばらくすると、昨日一緒に学生を誘導した男性が、テントから出て来た。「おはようございます」と声をかけると、男性は憔悴した顔をしている。「どうかしましたか?あの学生達はもう出発した様ですよ」と言うと、男性は「昨日、あなたがテントに戻った後・・・」と話し始めた。
男性は父がテントに戻った後も、何となく学生の姿を眺めていた。学生達は喉が渇いていたのか、皆で水場で水を飲んでいた。よっぽど水が飲みたかったのか、皆、真剣に飲んでいる。しばらくすると学生達は満足したのか、水場を離れた。そしてそのまま、スーっと崖の方に向かって行ったのだそうだ。男性は「おい、もう遅いんだから、今日はここで休んだ方がいいぞ」と声をかけたが、学生達は微笑みながら「ありがとうございました」「やっと水が飲めた、満足です」と言って、そのまま行ってしまった。学生達は崖を登って行く。なのに何の音もしない。そこで男性は、この学生達はもう生きていないんだ、と気がついたそうだ。ずっと水が飲みたくて、そして彷徨っていたんだ、と思うと急に恐ろしくなって、急いでテントに戻って、朝まで震えていたと言う。
父は「そんな馬鹿な」と思ったが、何か言う前に初老の男性が先に言葉を発した。
「ありがとうございました。あいつら、やっと成仏出来ました」
初老の男性は手を合わせて、涙を流した。
詳しく話を聞くと、初老の男性はあの学生達の中の1人の父親で、学生達は数年前に、この山で遭難して亡くなってしまったんだそうだ。それからと言うもの、事故が起こった日が近づくと、初老の男性はこの山に登る様になった。いつもこの場所にテントを張ると、真夜中になると崖を駆け下りる音が聞こえていたそうだ。男性はその音が聞こえると、いつも念仏を唱え、成仏を願っていたと言う。
「そうか、あいつら水が飲みたかったんですねえ。私は気がつく事が出来ず、ただただ念仏を唱えるだけで・・・」
と初老の男性は涙を流し続けた。
その後、父は何度かその場に向かい、タバコとお酒を供えたそうだが、もう二度と、真夜中に崖を駆け下りる音は聞こえなかったと言う。