【怖い話】四国の田舎に伝わる女性限定の奇習

ほんの数年前に知った私の母の故郷(四国のド田舎)の習慣の話です。うちの集落には、ハカソヤという女限定の変な習慣があります。ハカソヤにも色々あって、大きく分けてお祝いの言葉に使う場合とお守りのことを指す場合があります。

お祝いの言葉のほうは、例えば初潮が来た女の子や恋人が出来た未婚の女性に「おめでとう」の代わりに言ったりします。お守りのハカソヤは、母親から一人前になった娘に手渡す安産のお守りのことを言います。例えば、娘が就職して実家を出て遠方に行くときなんかは必ず持たせます。この場合、何をもって一人前とするのかは割といい加減で・・・家によっては初潮と同時だったり、就職やお嫁入りの時だったりとバラバラなのですが、とにかく安産のお守りなのは共通しています。妊娠していてもいなくても。ていうか、してない場合がほとんどです。

両方に共通しているのは「必ず男性が見ていない、聞いていないところで渡す」ということです。とにかく女性限定の習慣なので、男性もいる席でおめでたいことが判明したりしたら、台所とかに呼んでこっそり「ハカソヤ、ハカソヤ」と言ったり、お守りを渡す時は男の子のお守りをほかの女性に頼んで…といった感じです。とにかく男性には、ハカソヤは徹底的に隠されます。そいうわけでおそらく、集落の男の人はハカソヤの存在自体知らない人がほとんどなのです。

私も都内の大学に進学して、一人暮らしをはじめるという時に叔母からハカソヤをもらいました。貰ったのが母ではなく叔母からなのは、うちの母親はあまり迷信などに関して信心深いほうではなく、こういった古いしきたりも嫌っていたからです。母も祖母からハカソヤは貰っていたようですが、私にはハカソヤはあげずに自分の代で途切れさせるつもりだったようです。実際、こういう習慣があるのを嫌って母は集落を出ています。妹である叔母は、お嫁入りも近所で済ませて祖母と一緒に集落に残っています。

ただ、それではあんまりおばあちゃんがかわいそうだから、それに都会は怖いところだから、女の子には絶対いるものだからと言われたので(あとでここまで叔母が言う理由を知ってぞっとしましたが)
根負けして受け取った感じでした。私が貰ったハカソヤは、見た目はどこにでもあるような安産のお守りです。ちなみに、ピンク色。

東京に出て一ヶ月目。情けない話なのですが、今まで住んでいた町に比べて遥かに華やかな東京の雰囲気にすっかり酔ってしまった私。大好きなカフェ巡りや雑貨屋通い、美味しいお店探しなどしているうちに、あっという間にお金がなくなってしまい、貧困に陥っていました。バイトはまだ見つからないし、かといって一ヶ月目からお金を無心するのもどうかなと思い、家中で余ってるお金はないか探しまくったのですが見つからず。

そこでふと思い立ったのは、お守りの存在でした。昔の話によくあるベタなアレですが、お守りの中にお金を入れておいて困った時にお使いなさい、みたいな気遣いの仕方がありますよね。ひょっとしたら、あのハカソヤの中にお金が入ってたりとか?などと甘っちょろい期待を抱いてハカソヤをあけてみたんです。

ところが、中にはお金など入っていませんでした。入っていたのは形付けの厚紙と、小さい古びた布キレだけ。二~三センチほどの、目の洗い木綿かガーゼのような布で、その半分ほどが茶色い染みで染まってて、乾いて固まってベコベコと波打っている。ずいぶんと古い布のようで、地の部分も黄ばんでいました。

一体、これは何なんだろう?私は妙な方向に思考をめぐらせていました。生理の時に汚れたショーツを放置しとくと、こんな固まり方するんだよね…。布が変な並打ち方して固まって…。てことは、これ血…?一人前のはなむけのお守りに、なんで血のついた布切れなんか?

時間が経つにつれて気になってしょうがなくなってしまい、とうとうお金の無心の電話にかこつけて、母に聞いてみることにしました。母は私がハカソヤを叔母から貰っていたことすら知らなかったらしく、驚いた様子でした。「あの布は何なの?」と聞いてみましたが、母はただ静かな声で「酷いことが起こらないよう気をつけてね」と言うだけ。結局、何も教えてくれませんでした。

どうしても気になったので、今度は叔母に電話してみました。久々に話した挨拶もそこそこに、私はまくし立てました。「あれは何なの?あの布は、あの染みは」叔母は、あれ、知らなかったっけと言う風に、さらりと言いました。 「何って、血よ。女の子の。ハカソヤは男にひどいことされないためのお守りだって、○○ちゃんは姉さんから教わらなかったの?」一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。叔母がしてくれた説明はこうです。

儒教が伝わる以前はどこの地方でもそうだったらしいけれど、日本はものすごく性に関してフリーと言うか、他人の奥さんを何か物でも借りるみたいに借りては犯して、生まれた子は皆で村の子として育てるみたいな感じだったそうですね。夜這いなんかも堂々と行われていたのが当然だったとか。

時代がすすむにつれて一般的にはそのような価値観は薄れたのですが、うちの集落は依然としてこんな女性に辛い気風が残っていたそうで。山奥にあるので情報が伝わりにくかったのと、この地方は貧しいし冬には農作業も出来なくて、娯楽ややることがそれくらいくらいしかなかったのが関係してるのではと思います。とはいっても、そんな大勢の男に好き放題されて、十月十日誰の子ともおぼつかない子供を孕まなければいけない女性の苦悩は並大抵ではなかったでしょう。そこで女性達が鬱憤晴らしのためか、それとも本当に男達に復讐しようとしたのかは分かりませんが、作り出したのがハカソヤだそうです。

作り方は・・・聞いてておいおいと思ったんですが、死産で生まれた女の子に、産婆さんが木綿布を巻きつけて指をぎゅっと突っ込むんだそうです。血が染み出たら、布をねじり絞って全体に血の染みをうつす。それで一人でも多くの人にお守りが多く渡るようにしたんだそうです。血のついた部分が入るように、お守りに入る程度の大きさに切って出来上がり。これがハカソヤの中身になります。

このハカソヤは、いわゆる女性の貞操のお守りです。望まぬ妊娠で悲しむことがないよう、おそそ(女○器)が血を流すことのないよう、幸せな破瓜を迎えられるようにという願いがこもっているそうです。でも酷いのが、死産の子が少なくなると、強○で生まれたり父親が誰だかはっきりしない女の子でもやってたんだそうです。確かに、男達にとっかえひっかえ抱かれる社会で、幸せな初体験をしたいって望む人が多いだろうなってのは分からないでもないけれど、その子たちの幸せは・・・。

ハカソヤの役目はもう一個。ハカソヤさえあれば例え手篭めにされても、男に呪をかけて復讐することが出来ると信じられていたそうです。とある女が村の男に迫られて強○されましたが、無理やりされていることの最中じゅうずっと「ハカソヤハカソヤ」と唱えていたら、男がいきなり内臓を口から吐いて死んだという言い伝えがあったようで。

だから、ハカソヤは独り立ちする女に渡されるのか!自分を傷ものにする男を殺すために!と、その時唐突に理解し、背筋がぞっとしました。それらと一緒に、ハカソヤの語源は「破瓜・初夜」のもじりじゃないか?だとか、「(男に内臓)吐かそうや」だったり「(男に一泡)ふかそうや」だとか…。「私を傷つける『粗野』な男は殺してしまえ(墓)」だとか、諸説あることも一緒に叔母から聞きました。
個人的には、一番最初の説じゃないかと思います。お守りの性質上。あとは、ハカソヤって響きから連想した後付じゃないかと思っています。男が内臓吐いたって話ももちろん。

「じゃあ私はそんな呪いの言葉をめでたいめでたいって意味で使ってたの!?」と驚くと、叔母はあわてて訂正しました。「ハカソヤが向くのは男だけよ。女の人に向けていったら『幸せなはじめてを経験できるといいね』って意味になるから大丈夫。だから男の人に聞かせたらいけないんだけどね」

昔は結婚まで交渉なんかしなかったでしょうから、結婚する人に向かっては悪意などない、祝福の言葉以外の何者でもなかったようです。今では婚前のセッ○スなんて当たり前のようになってしまったから、形骸化した挨拶になってしまっているようですが。

母の実家に帰るたびに変な習慣だなーとは思っていましたが、まさかこんな意味があったなんて・・・。しかも、それをいまだにほとんどの男性から隠し通しているあの集落の女性達のハンパない団結が怖いです。村ぐるみで男の人を仮想敵にして、がんばってるみたいで・・・

大体、このどこの誰のかも分からない血が(それも破瓜の)付いた布つきのお守りなんて、正直もっているのが気持ち悪いですが・・・捨てていいもんかどうか。まさか叔母には相談できないし。第一、私は一応もう純潔じゃないし・・・いいかな?と思いつつ、まだ手元にあります。困った…。

『【怖い話】四国の田舎に伝わる女性限定の奇習』へのコメント

  1. 名前:匿名 : 投稿日:2016/11/06(日) 00:48:11 ID:
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    昔は性におおらかだったと言いますが、確かなまら祭りは堂々と子孫繁栄願う祭りで日本各地に色んな形で残っていますし夜這い等は農村部では昭和初期まであったそうですが、こういうれいぷじみたものはそんなに一般的だったのかなぁ?ごく一部と思いたいですが・・・
    キリスト教的な考え方が入ってきてからは当時を知ってる人の証言もとれにくくなってきてるかもしれません

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