これはわたしの母親から聞いた、怖くて、奇妙なお話。
母親が生まれ育った場所は、とてつもなく辺鄙な田舎だ。渓谷沿いのガタガタ道を車で40分も行くと、30軒ばかりの家々が固まった集落がある。集落は山の急斜面にポツリポツリと建っていて、今では年寄りばかりが住んでいるが、母が子供の頃にはもう少し人口も多かったらしい。この集落にはお盆に行う古くからのならわしがあって、三年以内に不幸があった家は、お盆中の夕方、毎日墓場に行って提灯に火を灯さなくてはならない。夏の夕方はまだ明るいから、男の大人たちは山仕事や畑仕事で忙しく、女たちは夕食の支度で手が離せない。そこで墓場の提灯に蝋燭を灯すのは、子供の役目とされていた。
誰が提灯に火を灯しに行くか、だいたい兄弟の間で揉め事になり、それならジャンケンで決めようということになるのだが、最終的には年上の兄弟たちのずる賢さに騙された年下に押し付けられる。母はそのクチだった。子どもたちが墓場に行きたがらないのは、遊びたい、とか、面倒くさい、とかいう理由ではない。怖いのだ。母の実家の墓場は集落から離れた山の中にあり、細い獣道を30分ばかり登ってくと、急な山肌に突然古ぼけた墓碑の群れが現れる、と言った具合で、わたしのような大人でも夕方一人で行くのは躊躇する。そんな所に小学生ひとりを行かせるなんて今では考えられないだろうが、当時は、どこの家でもやっている当たり前の仕事だった。
役目を言いつけられた子供たちは、まだ明るいうちに出かけるのだが、あんまり明るいうちに蝋燭を灯すと、小さな蝋燭は夜までに燃え尽きてしまう。人工物など何もない山奥は、日が落ちると提灯の灯りでさえ家からよく見えるのだ。暗くなったとき、墓地に灯りが点っていなければ親に叱られる。蝋燭に火をつけて、自分が家に帰りつく頃ちょうど暗くなる時間・・・そんな頃合いを見定めるテクニックが必要なのだそうだ。
小学校5年生の夏、母が三度目の提灯係りを言いつけられた時の事だ。三度目ともなるとテクニックは知っているし、低学年より知恵もある。時間を見計らいながら、嫌々蝋燭とマッチを握りしめて墓場への道を登って行った。夕方の山は蝉しぐれと秋の虫が混在していて騒がしい。その騒がしさが怖さを紛らわせてくれる。真冬のようにシンと静まり返っていたらどんなに怖いか、そんなことを考えている内に墓地に着いた。
急いで墓に手を合わせ、提灯に蝋燭を差してマッチを擦ろうとした時だ。母の足元に、何かが見えた。ヒラヒラ動く、何か。蝶か蛾・・・?そう思って何気なく視線を落とした瞬間、ゾッとして血の気が引いた。
そこにあったのは、小さな「手」のようなもの。赤ん坊の手のようなものが地面からニョッキリ生えて、手招きするようにヒラヒラ動いていた。母がそのまま逃げ出さなかったのはすごいと思う。ゾッとしながらも、母はそれをジッと凝視した。薄暗くなりかけた山の中というのは、ときに、ひどい見間違いをさせるものだと経験から知っていたから。「怖い」と思う気持ちが「手」のように見せているのかもしれない・・・そう言い聞かせながら、足元でヒラヒラ動く白い手のようなモノの正体を見破ろうとした。見破れなければ、自分はそれに背を向けて、宵闇に沈みゆく山道を一人で30分も逃げなければならないのだ。
母は提灯に灯すため手にしていたマッチを擦った。そうして、ヒラヒラ動く手のようなモノを照らした。木立の間にある墓場は、辺りより一層暗い。マッチの明かりで動くものの正体がきっと明らかになる、そう思ったのだ。蝶や蛾が、地面で羽を閉じたり開いたりしているのだ。あるいは、紙くずや花弁の舞落ちたのが、風で動いているのかもしれない・・・だが、よく目を凝らせば凝らすほど、ヒラヒラ動いているものは確かに「手」であり、それは本当に赤ん坊のモノのようにプックリと白い小さな手で、手首から上だけが地面に出て、ヒラヒラと、ゆっくり、母を手招きしていた。
母はそのあと、自分がどうやって家に帰り着いたのか覚えていないという。服はあちこち泥んこになっていたから、おそらくものすごい勢いで山道を駆け下りて転んだりしたのだろう。家族の声が家の中から聞こえてきた時、やっと冷静になって、墓場にマッチを落としてきたことを思い出した。それから急に怖くなった。自分はマッチを落としてきたうえに、提灯に火をつけてこなかったのだ。以前、あんまり明るいうちから火をつけてしまい、夜になって提灯が点っていなかった時は、親に散々叱られた挙げ句、長男に付き添ってもらって墓場に火をつけに行かされたのだった。それを考えると本当にゾッとした。
母は祈るような気持ちで墓場の方角の山を見た。すると、木々の間からチラチラと、ほのかな提灯の明かりが見える。今年の盆、墓場に提灯を灯さなくてはならない家は、我が家だけのハズ。あの灯りは他家のものではない。母は狐につままれたような、神様に助けられたような気持になって、そのまま腰が抜けてしまったそうだ。
翌日、母は仲の良い姉に頼んで内緒で墓場へ向かった。マッチを落としてきたのを親に知られる前に、回収しなくてはならないと思ったらしい。兄弟には「手」のことは秘密にしておいた。話せば一緒に来てくれないに決まっているし、その日の提灯点けの当番が決まらないだろう。墓場に着くと、あの「手」がヒラヒラしていた場所を警戒しながら眺めた。手はどこにもない。マッチは「手」があった所で擦ったのだから、この辺りに落ちているハズなのに、どこにも見当たらない。腰をかがめて地面をよく探している母に、同行してくれた姉が声をかけた。
マッチ、ここにあるよ。見ると、マッチは自分たちのお墓に供えるように、きちんと墓碑の前に置かれていたそうだ。
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この話良いなあ
怖さを美しさが上回ってる感じ