私の育った家庭はちょっと複雑で、母方の大叔母と同居していた。大叔母は結婚していたが、嫁ぎ先の家では暮らさなかった。60を過ぎての結婚であるし、相手の男性(夫)には先妻との間に生まれた子どもが三人いる。その子どもたちも大人だ。自分が夫と共に暮らすことで、子どもたちに嫌な思いをさせたくなかったのだろう。
大叔母の夫は彼女に心底惚れ込んでいた。毎日足げくやって来ては「結婚してくれ」と言っていた。わたしたち家族の前でも彼は包み隠さずプロポーズをくり返した。その度に大叔母は「一緒には暮らせないし、この年になって結婚する気もありません。こうやって毎日お話をするだけでいいじゃありませんか」と答えた。だが、おじさん(彼)は何としても結婚したいと言い張った。「一緒に暮らせなくてもいい、結婚すれば同じ墓に入ることができる。俺はそれだけでいい」おじさんは何度も何度もそう言った。子ども心に、それはとても印象的な言葉だった。
一年以上通いつめるおじさんの熱意に、大叔母は根負けした。結婚式は挙げなかったが、二人は入籍し、法律上の夫婦となった。結婚してからもおじさんは毎日我が家にやってきた。夕食を一緒に食べ、一時間程で帰っていく。考えてみると、大叔母とおじさんは二人っきりで過ごす時間などなかった。けれど、おじさんはとても幸せそうに見えた。さっぱりとした性格のおじさんがわたしも好きだった。
ある日曜日、珍しくおじさんが昼間遊びに来た。大叔母は留守だった。わたしがそのことを告げると、おじさんはわたしに用がある、ちょっと一緒に出かけよう、と誘った。おじさんがわたしを連れて行ったのは、近所の寺の墓地だった。黒光りする真新しい墓石はつるんとしていて、まだ字も彫られていない。その墓石を眺めながらおじさんは言った。「おかあちゃん(大叔母)と俺の墓だ。俺たち夫婦がふたりだけで入る墓を買ったんだ。お前だけに内緒で見せてやる」
当時、わたしは12才だった。おじさんが何故わたしにあんなことを言ったのか未だにわからないが、おじさんは続けて言った。「俺はおかあちゃんより早く死ぬだろう。そうしたら、おかあちゃんのこと宜しく頼むな。一緒にこの墓へ入れてくれな。俺は毎日この墓石の下から頭を下げて頼んでるからな。俺は死んでも、きっとここにいるからな」
わたしは笑った。なんて答えていいかわからなかった。するとおじさんは真剣な顔でこう言った。「よし、じゃぁ俺がここにいるって証拠に、お前が墓参りに来てくれたら、俺はこの墓石を動かしてみせる。いいか、絶対に動かしてみせるからな」その時は「バカなこと言ってるな」と密かに思ったが、大叔母のことはできるかぎりやります、と約束した。おじさんの言葉があまりに馬鹿げてて、あまりに真剣で、そう答えるしかなかった。
そんな約束をした半年後、おじさんは交通事故であっけなく死んだ。うちに来る途中の横断歩道で無謀運転の乗用車にはねられたのだ。葬式の前日、おじさんの遺骨をどちらの墓に入れるか、彼の子どもたちと我が家との間でかなりもめたらしい。子どもたちも、まさか父親が義母(大叔母)と入る墓を内緒で購入しているとは夢にも思わなかったのだろう。結局、分骨という形で折り合いがついた。
やがてわたしも大人になり、大叔母はアルツハイマーに侵されて10年以上入院し、死んだ。大叔母の遺骨はおじさんの望み通り同じ墓に埋葬された。大叔母の納骨に立ち会ったのはわたしたち家族だけだった。納骨の時、わたしは生前おじさんとこの墓の前で交わした会話を初めて家族に話した。父は曖昧に笑っていたが、他のみんなはしんみり聞いていた。
全員が線香を捧げ、手を合わせて帰ろうとした時だ。墓石が ガクッ!! と小さく動いたのだ。みんなびっくりして墓石を見つめた。地震でもあったんだろう、父はそう言った。理由はわからないが、確かに墓石は動いた。科学的じゃないが、おじさんが約束を守ったんだとわたしは今でも思っている。
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彼の望みは「一緒にこの墓へ入れてくれな。俺は毎日この墓石の下から頭を下げて頼んでるからな。」
なのに、この日初めてその証拠を見た?
「同居している大叔母」の亡き夫の墓参りに、「近所の寺の墓地」なのに一度も行っていない事が衝撃的
大叔母に付き添ったり、お盆等の行事は?
同じ墓に入れてくれるまでの十数年、待ちぼうけ…