【御神木の祟り】生存者の居ない村

ある村では毎月家ごとに交代で「御神木」と呼ばれていた木にお供え物をする決まりになっていました。


お供え物として持っていくのは、生き物の亡骸でした。生き物であれば何でも良かったらしく、鳥や野良猫、時には野生のイノシシを捕らえて供えることもあったそうです。 御神木にどのようなご利益があったのかは定かではないのですが、村人は御神木にお供えをしているから毎日平和に暮らせるのだと言ってはばからなかったそうです。お供え物を持っていくのは、毎月最初の日曜日と決まっていたそうです。

御神木の根元にはお供え用の台座が用意されていて、大型のイノシシでさえはみ出さずに収まったのだそうです。そんなある日、事件が起こりました。担当だったある家の人間が、お供えを持って行かなかったのです。その家の人は、次月のお供え担当と代わってほしいと言われたので、その月は自分が担当でないと思っていたと主張していました。

しかし、次月のお供え担当の家族は「そんなことは言っていない」と主張し、結局、今月の担当の責任ということになりました。急遽、食用の鶏をお供えとして納めましたが、その家は村八分にあってしまいました。村八分の結果生活に困るようになってしまったため、その家族は村を出ることになりました。

その数年後、ある用事でその一家の父親が村を訪れました。村長から和解したいという旨を連絡されたからです。父親が村に行くと、村の様子は一変していました。以前は稲や作物が実っていた田畑はすっかりと荒れ果てて、空気もなんだか澱んでいたそうです。村役場に行くと村長がいて、かつての主張を信じて和解したいと言ってきたそうです。

なぜ今になって数年前の主張を信じる気になったのかを聞いてみたところ、その家族が村を去って以来、村ではさまざまな不幸が相次いだのだそうです。御神木は、その家族に担当を交代するように要請した家族の嘘を見破り、その見せしめとして村に厄災を振りまいたのだそうです。

結局、その家族は自殺し、遺書にその旨が記されているのを発見したのだとか。その家族が自殺してから、村はかつての平穏を取り戻したのだそうです。完全にしこりを無くしたいために、今更ながら和解を申し出たのだそうです。

父親はもはや気にしていないことを告げると、村長は涙を流して感謝をしました。父親が自宅に帰ろうと村を出た途端、急に空気が変わりました。気になって背後を見ると、そこにはかつて以上に荒れ果てた村の姿があり、人の気配は完全に無くなっていました。父親が村に戻って確認をしたところ、既に村人の中に生存者はおらず、木造の村役場もすっかり朽ちていて、そこには村長のものであろう死体が転がっていました。

既に白骨化していましたが、服装などは先ほど会った時と全く同じでした。村に何があったのかはもはや分かりませんが、少なくとも先ほど会った村長は、もはやこの世の人ではなかったのでしょう。

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