うちの親父が若者だったころの話。近所の旅館の要請で、町中の若い衆に召集がかかった。二年に一度の○○神祭(忘れた)の日に、興をそがれた親父達はブーたれながら山のふもとに集まった。聞けば、先日から祭見物に来ていた夫婦が朝から見当たらないとのこと。靴がないことから外出しているのは確かだが、行き先は分からない。町内放送にかけても返事がないことから、早朝にふらっと山に散策に行って迷っているか、遭難しているのかも知れない。その捜索に行って欲しいとのことだった。迷っているとしたら面倒が過ぎる。行き違いで戻ってきたり、捜索済みの場所に現れたり、どんどんと遠ざかっている可能性もあるからだ。親父達は女衆がいい服を着て、祭の日の習慣どおりに互いの家を訪ねあって、お茶して馬鹿話を楽しんでいるのを羨みながら、山に入った。
苛立ちながら「××さ~ん、返事してー」と大声を出しながら山を右往左往する。よそ者への愚痴を挟みながら時間ばかりが過ぎていく。ご馳走(と言っても祭のために用意されたものの流用だが)が詰まった弁当だけが心のよりどころだった。三人でパーティを組んでいた親父たちも、気分を和らげるために早めの昼食に入ることにしたが、ない。弁当がないのだ。全員、リュックをひっくり返しても、楽しみにしていた弁当が出てこない。「三人分、集めてどっかにおいたっけ?」「あんとき、分けなかったんじゃないか?」などと記憶をほじくったところでどうしようもないので、もう小一時間ほど捜索をして、弁当を取りに山を下った。ふもとでは不思議なことに、全員が「弁当を忘れた」といって集まっていた。かといって集合場所には予備のものが二つ三つ残っているだけ。三十個以上の弁当が紛失していたのだ。仕方なく皆、各々の家に戻って昼食をとったあとに再集合ということになった。
午後になって再び山のふもとに戻ると、恐縮しきりで小さくなった中年夫婦が頭を下げて待っていた。早朝、雲ひとつない空に惹かれてふらりと出かけて、尾根を一つ越えたところで方向感覚を失ったという。
こうなると皆、不満を忘れて、安堵とこれから始まる祭本番に向けての喜びでいっぱいになり、楽しげに夫婦と話を始めた。どうして戻って来れたのかと聞くと、この町の人が山にいて、方角を教えてくれたと言う。親父たちは、捜索隊は若者だけだったし、祭の日はおじさんと言われるような年の男は、全員が子供と戯れているはずなので、訝しく思ったそうな。だが確かに、その男は「ああ、○○館の客か、あそこの坊も今ごろ気が気じゃないだろ」と笑っていたらしい。山ん中で自活してる人でもいるのかなあ、と親父は思ったそうだが、弁当の紛失もあって『山の神様』が導いてくれたということで皆は納得した。尾根を越えたところに、宮司も誰もいないが、数年に一度、修復とお参りが行われる古い神社があるということも、その説に寄与した。夫婦によると、おじさんは山に入るにしては軽装で、荷物もなにもなく、小じゃれた都会風のカジュアルウェアだったそうな。山の神様もオシャレになったもんだ、とその夜の宴会で盛り上がったが、見るとチノパンにネルシャツとジャケットという服装は、祭の日のおじさん方の召し物そのものだったそうな。神様は山ん中できちんと正装してくれているようだ。
災難だったのは旅館の主人で、弁当のために提供した重箱、三十数個が消失してしまい、祭明けに大きな出費を控えてしまった。「神様もよ、俺のこと知ってて気遣ってくれるなら、箱くらい返してくれていいのによ」と酔って愚痴っていたそうな。