【貧乏神】質屋だった実家の蔵にあった電話機

家は昔、質屋だった。と言ってもじいちゃんが17歳の頃までだから私は話でしか知らないのだけど、結構面白い話を聞けた。田舎なのもあるけど、じいちゃんが小学生の頃は幽霊はもちろん神様や妖怪、祟りなど、非科学的なものが当たり前に信じられていた時代。だからそう言った物を質屋に持ち込む人は少なくなかったそうだ。どういった基準で値段を付けていたのかは分からないが、じいちゃん曰く「おやじには霊感があったから、そういう神がかった物は見分ける事が出来たんだ」との事だった。

喜一じいちゃんの時代は電話が無かった。無かったと言っても一般家庭での話で、お役所や大手の企業等は電話機を所有していた。喜一も何度か市役所で見た事があったが、それでも少年にとっては未知の世界の機械。ところがある日、そんな特別な電話機を蔵で発見した。それはもう喜一にとっては大事だった。蔵を飛び出し、ドタドタと縁側を駆け抜け店へと走る。「何で何で!!電話機が蔵に!蔵に!?」大興奮の喜一の言葉は片言だったが、親父には十分理解出来た。

「おめぇ、また勝手に蔵に入りやがったな…」じろりと喜一を睨んだが、今の喜一には全く効果は無かった。「なぁなぁ、あれ喋れるんだろ? 隣町のじっちゃんとも話せるのかな?」目をキラキラさせながら話す喜一を尻目に、親父は足の爪を切りながら「あほう、家に電話線なんてあるか。それに電話機ちゅーのは、向こう側にも電話機がねぇと話せねーんだよ」親父の冷めた口調に、喜一の興奮もあっという間に冷めてしまった。「この辺で電話機がある所っちゃぁ市役所、軍の事務所、隣町の呉服屋ぐれーだろ。どっちにせよお前みたいなガキには縁の無い物だな」ガキ扱いされた上に「邪魔だ」と店を追い出され、すっかり喜一は機嫌を損ねた。

電話機はもう買い手が決まっているらしく、家の蔵に居るのはほんの数週間。電話機自体は壊れていたが、見栄っ張りな金持ちの壁のオブジェになるそうだった(当時の電話機は壁に掛かる大きな物だった)。それでも喜一は親父の目を盗んで電話機の受話器を取って話をしていた。と言ってもただの独り言だ。「…それで親父はカンカンだし、母ちゃんは大泣きするしで…」「フフ…」喜一の話に誰かが笑った。「え?」喜一は周りを見渡したが、誰かが居るはずも無い。という事は電話の向こうだ。

「も…もしもーし、どなたですか?」喜一が恐る恐る尋ねると、「…申し申し?」返答があった。『親父のヤツ、俺を電話機に近付けまいとして壊れてるなんて嘘を吐いたんだな』そう思った喜一は嬉しくて嬉しくて、電話の向こうに話し掛けた。「こ…こんにちは」暫くすると、「こんにちは…。声を出すつもりは無かったんだが、君の話が面白くてね。盗み聞きになってしまったな。すまない」相手はとても紳士な感じがした。

「そんな事、気にしなくていいよ。それよりさ、そっちは何県なの?」喜一は電話の向こうが気になって仕方がなかった。「そうだな…。とても遠い遠い所だよ。君の知らない所だ」彼の答えに喜一は、「外国!? 遠いって蘭よりも遠いのか?」そう聞くと彼は笑いながら、「そうだね。きっと蘭よりも遠いだろう」と答えてくれた。

それから喜一は親父が寝静まった後、毎晩蔵で電話をした。電話の話し相手は、喜一が受話器を取ってもしもしと言うと必ず、「申し申し」と答えてくれた。彼の話はとても面白くリアルだった。ある日「おじさんはどんな仕事をしてるの?」と喜一が聞くと、彼は少し困ったように「うーん、そうだな。前は人を幸せにする仕事をしていたんだ」曖昧な答えに、「幸せって?」と聞き返した。「まぁ色々あるけど、例えばお金とかがよく入るようにしていたよ」それを聞いて喜一は勝手に銀行関係の人だと思った。「ふーん、じゃあ今は?」今度の質問には少し彼の声のトーンが下がった。

「前の仕事は任期が終わってしまってね。今は逆の仕事をしているんだ…。でもまた暫くすれば幸せにする方の仕事に戻れるんだけどね」喜一は考えた。『お金を与える仕事と逆という事は、奪うんだな…。きっとヤクザの取立屋だ!』銀行員になったり取立屋になったり、それは大変そうだと思った喜一は彼を労ったのだった。

そんな楽しい電話生活もあっという間に過ぎ、とうとう明日電話機の受け渡しという日になった。「申し申し…。今日は何だか元気が無いね。どうしたんだい?」心配されてしまった喜一は、ここが質屋で電話出来るのが今日で最後だという事を彼に話し、寂しがった。「そうか…。それは寂しいね。でも良かった。実は私もそろそろ自分の仕事を抑えるのが限界だったんだよ。君に迷惑が掛からなくて良かった」喜一には彼の言っている事がよく解らなかったが、彼も寂しがってくれている事が伝わってきたので少し嬉しかった

「最後に聞きたいのだが、この電話機の持ち主になる家はお金持ちかい?」彼が不思議な事を尋ねた。
「…? うん、お金持ちだよ。でも嫌なヤツだって親父が言ってたから、明日からは電話しない方がいいかもね」
喜一がそう教えてあげると、
「ハハハ…。そうか。それなら良かった…。また会えるといいね」
彼の言葉に喜一は、「まだ会ってないよ。いつか会えるといいね、だろ?」そう訂正し、最後の電話を切った。

翌日、店に電話機の主人になる人が来た。親父の横で電話機を見送ると、「お前、随分電話機と親しくなったみてぇだな」喜一は心臓が飛び出るかと思うほど驚いた。「なっ、な何の事」白を切ろうとしたが、親父にはお見通しだったようだ。「お前があの貧乏神と仲良くやってくれたおかげで、受け渡しまで家に災難は無かったし、寧ろ売上上々だったしな」更に喜一は驚いた。「貧乏神!? あの電話が? 電話の相手は?」「おめぇ、繋がらない電話に人間が出るわけねぇだろ」喜一には電話線というものがよく解っていなかったのだ。

「ねぇ、貧乏神なんか憑いてる物、売っちゃっていいの!?」
喜一がハッと気付いて問うと、「いくら何でも神さんを祓うわけにいくめぇ。それにあそこの親父は昔から嫌なヤツだからな。少し痛い目に遭えばいい。さ、金に困ればまた家に売りに来るだろう。その頃には福の神に変わってねぇかなぁ」ククク…と喉を鳴らした親父は大きな欠伸をして茶の間へと姿を消した。

喜一はあの電話機との会話を色々回想していると、茶の間から思い出したように顔を出した親父が「今回は特別に泳がせてやったが、調子に乗ってまた蔵に入るんじゃねーぞ。次勝手に入ってみやがれ。裏の木に吊すからな」そう言うと、キッと喜一を一睨みした。喜一はブルッと身を強張らせた。親父の恐ろしさを改めて思い知らされた今の喜一には、十分効果があった。

それからあの電話機がどうなったかは判らない。じいちゃんは「初めて電話線が繋がっている電話を取る時、『申し申し』とまた聞こえないだろうかと期待したもんだ」と語っていた。

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