【怖い話】山の中の赤い着物の女

私自身の体験じゃないのですが、長い付き合いのある山先輩(と言っても、かなりの年齢。仮に、義一さんとします)から聞いた話をします。この話は、義一さんの祖父が、さらに自身の祖父(義一さんから数えれば、5代前の人)から聞いた話を、日記に書いて記録していたもので、義一さんが祖父の遺品を整理していた時に、見つけたのだそうです。そして今回の話は、その5代前のご先祖様(仮に義雄さん、とします)です。だいぶ長くなりますので、読み飛ばして頂いても構いません。

場所は東北某県、時代は明治初期。山深い村落で起きた話です。当時の人々は皆そうでしたが、特に義雄さんは健脚で知られ、普通の人が一里歩くだけの時間があれば、三里は歩く、という人でした。それでいて、肝も据わっている。そんな彼ですので、隣村への用事とかには、非常に重宝がられていたそうです。そんなある日、彼は県境を越えた遠くにある大きな街へ、用事で出掛ける事になりました。朝、暗いうちから家を出て、義雄さんは山道をドンドン進んでいきました。山道…と言っても当時の事ですから、山の中に獣道のような細い道があるだけ、といった状態です。山道は片方が山で、もう片方が急斜面となっており、底には川が流れています。踏み外したら谷底へ真っ逆さまです。が、度胸のある義雄さんは恐れる事なく、進み続けます。

さて、暫く歩いていくと、遠くに赤いモノがチラチラと見えるのに気付きました。「なんだ、あれは?」と思いつつ、歩を進める義雄さん。やがて、その赤いものの正体が次第に分かってきました。どうやら、着物が木の枝に引っかかり、風にユラユラ揺れているようです。こんな山奥、それも木の枝になんであんな着物が引っかかってんだ?と思いつつ義雄さんは近付いていきました。やがて着物が引っかかってる木の前まで来た義雄さんは、着物をよく見ました。着物に全然詳しくない彼ですら、こんな田舎では滅多に見られない程の高級品であることは一目瞭然でした。と、義雄さんは突然声を掛けられました。

「ねえ、あんた」その声に義雄さんは我に返って振り向くと、これまた山奥には似つかわしくない美人が立っています。「ねえ、あんた。着物を取って」彼は女性に言われるがまま、着物を取ってあげました。義雄さんは着物を渡しつつ、彼女を観察しました。艶のある長い黒髪、雪のような白い肌、そして美しい顔立ち。年の頃は、16~18ぐらいに見えたそうです。

「あんた、A街(義雄さんが行く予定の街)まで行くんでしょう?」見惚れて口も利けない義雄さんを見越してか、彼女は自分からペラペラと話してきます。「私も、A街へ行くの」「一緒に行きましょう」義雄さんは彼女の美しさに見惚れて、ただ黙って頷くばかりです。やがて、義雄さんは女性を連れて歩き出しました。歩き出してからは義雄さんにも余裕が出てきて『上手く口説けないもんか』ぐらいまで考えていました。しかし、それと共に何となく…具体的に何が、という訳ではないのですが、違和感を感じるようになりました。

女性は、健脚で知られる義雄さんの後を、息も乱さず付いて来ます。まあ、それもおかしいが、それだけじゃない。何かがおかしい。でも、何が変なんだろう…?そんな事を考えつつ、義雄さんは後ろをチラリと振り返ります。女性はやはり疲れた様子も無く、笑顔すら浮かべて付いてきています。『まぁ美人だし、細かい事は気にしてもしょうがねぇ』と思ってると、女性が突然、話しかけてきました。

「あんた、A街のBって所、知ってる?」「B?知らねぇなぁ…」「私ねぇ、Bのねぇ…」女性は、A街のBという場所に住む、□□という人物の話を始めました。まあ、早い話が、彼女は□□家主人の妾(愛人)だというのです。「そんな人が、何でこんな所に1人で居るんだね?」と言いながら振り向いた義雄さんはビックリしました。彼女はいつからそうしていたのか、義雄さんの背中に自分の身体をベッタリくっつくけて、彼の耳元で囁くように話しかけていたのです。そして、ここに至って義雄さんは、ずっと抱いていた違和感にようやく、気付きました。『コイツ、俺と出会ってからずっと後ろを歩いてるのに、どうして足音がしないんだ?さっきからずっと、俺が1人で歩いてるみたいじゃねえか…この女、変だぞ…』不安に駆られた義雄さんは、何とか女性から身体を離そうとします。ですが、何故か身体が動かない…。焦る義雄さんの耳元に口を近づけたままの彼女は、今までとは打って変わった低く、唸るような声で、言葉を発しました。「あんたも私を捨てるんだろう?ねぇ?捨てるんだろう?」

「一体何の話だ、捨てるって何だ…俺は何も知らん、お前、一体誰なんだ、離してくれ!」義雄さんは、必死に言葉を搾り出します。ですが、そこから先は言葉が続きませんでした。気付けば、彼女の目玉は外へ飛び出し、頭はザックリと割れ、更に顔は何かで何度も殴られたかのように、滅茶苦茶に潰れていたのです。あの綺麗な顔の面影はどこにもありません。彼女は既に腐乱死体、と言っても良い風貌になっていました。「うわあっ!」義雄さんは腰も抜かさんばかりに驚き、途端に身体が自由になりました。そして気付けば、細い山道を必死に逃げていました。「ヒヒヒ、ヒヒヒヒッ!」後ろからは、女性のものと思われる、狂ったような笑い声が響いてきます。それと共に、何かが腐ったような強烈な臭いもしてきました。

「だ、誰かッ!助けてくれ!」義雄さんは助けを求めますが、ここは山の中。人など居ません。「ヒヒッ、ヒヒヒヒッ!」後ろの声は、徐々に近づいてきます。それと共に臭いも強烈になり…義雄さんは、気を失いました。気付いた時、義雄さんは急斜面の途中にある木に引っかかっていました。下の川まで落ちたら、助からなかったでしょう。義雄さんは何とか山道まで這い上がり、傷だらけの身体を引き摺りつつ山道を歩きました。そうして歩いている間も、山の茂みや谷底から小さく「ヒヒヒッ」と笑う声が聞こえたり、強烈な臭いがしました。ですが、義雄さんは『聞いちゃいけない、見ちゃいけない』と念じつつA街の用事先まで辿り付き、そこで再び気を失いました。

次に気付いた時、彼は手当てをされ、寝かされていました。義雄さんは用事先の人達に傷の手当てをしてくれた御礼と、山で起きた話をしました。手当てをしてくれた人は、なんだそれは?みたいな顔をしていたそうなのですが、義雄さんがあまりに必死な顔をして訴えるので、一番長生きしている爺さんなら、何か知っているかも…と言って、お年寄りを呼んでくれました。やがて部屋に入ってきたお年寄りに、山で起きた話をしたところ、お年寄りも最初は思い出せないようでしたが、△△の□□、という地名と苗字を言ったところ「ああ。居た、居た。□□なら知ってる」と言います。

そして更に「こんな幽霊だったんですけど…」と幽霊の特徴を話したところ、お年寄りは突然「あいつ、本当に殺してたのか!」と言って、青くなったそうです。お年寄りは暫く青くなって話も出来ない感じでしたが、やがて義雄さんに以下のような内容の事を語ってくれました。話は、お年寄りが若者の頃まで遡ります。

まず、□□という家は、A街に存在していた。存在していた…というのは、既に□□の家は絶えているからだ。そして例の女性だが、義雄さんの言う特徴を聞く限り□□の当主が囲っていた、○○という妾だ。妾の○○は、関東だかどこだか、とにかく遠くから来た人らしい。まあ恐らく、遊び好きの□□家当主が、アレコレ頑張って連れて来たんだろう。そして、その妾は大層な美人で、どことなく洗練された言葉遣いや仕草で有名だった。お年寄りは何度か○○自身と話したことがあるらしい。彼女からは、とても良い香りがした。肌は雪のように白く髪は黒々とし、優しくて綺麗な人だ、と思った。そして、□□当主から貰ったらしい高級そうな赤い着物がお気に入りだったらしく、よく着ているのを見た。

だが、○○は□□家本妻△△と険悪な仲だった。お互いがいがみ合ってるのは、誰の目から見ても明らかだった。いがみ合う理由は色々だったらしいが、主な理由は□□当主絡みだったらしい。まあこんな感じで険悪な仲の2人だったのだが、ある日を境に○○が居なくなった。何の前触れもなく、本当に突然居なくなった。□□の当主は誰かに聞かれる度に「○○は△△と喧嘩した後、どこかへ逃げた」とか言ってたらしい。だが、あれだけ惚れ込んでいた○○が逃げたというのに、□□当主は一向に探す気配もなく、落ち込んでいるだけ。それに反して本妻△△は、以前とはガラリと変わって、かなり明るくなった。

△△の豹変ぶりを見た近所の人がある時、冗談半分で△△に「今はいいが、後で○○が戻ってきたらどうするね?」と聞いた。すると△△は「いいや、あいつは絶対戻ってこないね」と自信たっぷりに言う。そこで再び相手の人が「なんでそんなにハッキリ戻らない、と言えるんだね、まさかあんた、○○が憎いあまりに殺したんじゃないだろうねぇ?」と聞いた。勿論、聞いた人は冗談で聞いたのだ。だが、△△は事も無げに「ああ、殺したよ。あの生意気な小娘、頭カチ割って顔を叩き潰してやった」と、言ってのけた。その場に居合わせた人々は一瞬固まった。が、誰も殺しの現場を見た訳じゃないし、△△は、あまりにも堂々として喋ってるし、その場の皆は「またまた冗談を」と笑って聞き流した。

それから暫くは何事も無く平穏だったのだが、ある時期からたった数年だかで、□□当主も本妻の△△も、更にはその息子達も立て続けに死んでしまい、□□の一家は完全に絶えた。□□家があっと言う間に全滅したのを見た人達の中には「ひょっとして△△の奴、本当に○○を殺したんじゃないか、その祟りなんじゃないのか」と言う人も居たらしい。
だが、それも根拠の無い噂である。あっという間に忘れ去られてしまった……。でも、数十年経った今、義雄さんの口から幽霊の特徴(歳の頃16~18で赤い着物、白い肌)を聞いた上、その後の変化(頭が割れてて、顔が滅茶苦茶に潰されていた)を聞いて、お年寄りの口から「本当に…」という台詞が出てきたのです。

まあ、この後がちょっと大変でした。義雄さんから話を聞いたお年寄りは「見たのは山道の、大体どの辺だったのか。案内してくれ。供養する」と言ってきたんですが、義雄さんは行くのは絶対嫌だったので、大体の場所を教えてあげたそうです。ところで義雄さんには、疑問が残りました。と言うのも、その山道は何度か通ったことはあるけれど、この幽霊に遭ったのは初めてだったのです。何故今回出てきたのか?しかも自分は、□□家とは何の繋がりも無いのに…と不思議に思ったのですが、結局この疑問の答えは出なかったみたいです。やがてA街で用事を済ませたものの、例の出来事があるのと傷のせいで村に帰るに帰れない義雄さんの為に、用事先の人が義雄さんを村まで連れ帰ってくれることになりました。但し、今度は別の道を使って帰ったそうです。

さて、村に帰った義雄さんですが、やはり日頃健脚として知られ、山には慣れている彼が気を失うほどの怪我をして帰ってきたのを、皆が不審がりました。が、義雄さんは誰に聞かれても「足を滑らせ、道を踏み外した」と言って通しました。喋ると、祟られるとでも思ったのでしょうか。ですが、それから何をやっても失敗ばかりしたそうです。そして時折、畑仕事をしている時や家の中に居る時、あの「腐ったような臭い」が漂ってきたり、屋根裏や家の外から、時には耳元で「ヒヒヒッ」と笑い声が聞こえてくるようになりました。家の中に居ようが外に居ようが、畑仕事してようが寝てようが、義雄さんは笑い声や臭いに悩まされ続けました。当然、義雄さん以外の人達は声も聞こえなければ臭いだってしません。妾の幽霊は、何故か義雄さんに付き纏い続けました。

そんな事が続いた後、義雄さんは逃げるように別の大きな街へ行き、お祓いだの何だのをして貰い、やっと臭いや声が聞こえる事は無くなったようです。そして、そのまま街へ居付き、頑張って働いて結婚して子孫を残し、代を重ねて義一さんが生まれた訳です。義雄さんが妾の幽霊と遭ったと思われる山道は現在、廃道化が著しく、残ってるかどうかも怪しいらしいです。山や山中の廃道巡りが好きな私は、「行ってみたいから、山道の場所を教えてくれませんか?」と言いましたが、義一さんは「とんでもない事だ。そういうのは、触れるべきじゃない、そっとしとくもんだ」と言って、絶対に教えてくれませんでした。この、あまりに長い話を、義一さんは何度かに分けて私に話してくれました。そして最後に「今の時代も、ちょっとお金を稼ぐと、すぐに妾を囲う人は居る。でも、奥さんや子供を泣かせるだけで、何もならない」と言っておりました。私の話は、以上です。

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