道場で剣道を習っていたころの話。中学生まで、親父も通う剣道道場に行っていた。道場では、夏と冬の二度合宿をすることになっていて、今回話をするのは夏の合宿の時の話。夏の合宿は、道場で朝から夕方まで剣道の稽古に明け暮れ、夜は宴会というのが恒例だった。例年通り体がヘトヘトになったまま宴会の片づけを済ませてひと休みしていると、先輩たちに近くのコンビニに行こうぜ、と誘われた。私の地元は山奥の本当に田舎で、近くのコンビニといっても歩いて30分はかかる。稽古でヘトヘトになっていた私は、体を休めたい事を伝えて留守番することにした。
先輩達は4人ほどで連れだって買い物に出かけて、1時間ほどで花火やお菓子を持って帰ってきたんだが、興奮している様子だった。買ってきたお菓子をもらいながら話を聞いていると、どうやらコンビニに向かう途中で変なものを見たらしい。コンビニに行く近道に、あまり人の通らない小さな橋を渡る道がある。その橋、なぜ人が通らないかというと、数年前に自殺者が出たという噂のある橋だからだ。田舎だから自殺者が出れば話はすぐ広がるだろうが、当時の僕たちはまだ子供でそういう話は噂話としてしか伝わってこなかったので、真偽の程はわからない。でも、確かに自殺出来そうな高さで、自殺しやすそうな手すりの低さだったことは子供でも分かった。
先輩たちはその道を通って買い出しに向かったらしいんだが、行きと帰りでは様子が違っていたというのだ。行きは何ともなかった橋が、帰りに通るとやたらモヤがかかっていて、橋の周りだけ涼しかったんだという。川の冷気でもなさそうだし、雨も降ってなかったからモヤがかかるというのは不思議だった。普段なら気味が悪い橋をまた見に行こうなんて思わないだろうが、その時は合宿中。僕や、他にも道場生はいる。大人数なら怖さもまぎれるだろうし、せっかくだから花火はその橋の上でやろうということになった。道場の先生たちの許可を取り、一番若い先生が引率で同行してくれて橋の上で花火をする事に。ちなみにその先生と僕はとても仲が良く、その先生以外の先生はみんなお酒の飲み過ぎで潰れていた。
実際に橋についてみると、夜だから涼しいが特別寒い事もないしモヤもかかっていない。期待外れではあったけど、みんなで花火をするのは楽しかった。あっという間に全て使い終わってしまい、小さい子たちを先に帰らせて片づけをしていると若い先生がぼーっと何かを見ている。「どうしたんですか?」と聞くと、橋の外を指さしている。花火の煙がどうしたのかな、と見ていると、若先生が「人の顔に見えない?」といった。確かに言われてみれば人の顔に見える。
そういえば花火の煙なんて、さっきはなかった。もうとっくにどこかへ流れて行ったはずなのに、周りはやけに白いモヤが浮いている。片づけをしていた先輩たちも気付いたのか、騒いでいる。これがどうやら言っていたモヤらしい。すると騒いでいた先輩の一人が、先生の言っていたモヤを指さして悲鳴を上げた。さっきまでぼんやりした形だったものが、だんだん無表情な髪の長い女に見えてくる。ぼんやりみえる、とかじゃない。はっきりわかるレベルで顔がわかるようになっていた。
そのモヤは僕らの方にむかって、風に流されるように移動してくる。ゆらゆらしているのがわかるのに、なぜか形そのものは全く変わっていない。どんどん迫ってくるモヤに僕たちは逃げるに逃げられず、遂に僕の体を通り抜け…たと思ったら、もうモヤは全てなくなっていた。橋の上は花火の火薬のにおいが残り、さっきまでの寒さもどこへやら汗が噴き出る暑さに戻っていた。あれはなんだったのか、今でもよくわからない。