源平合戦の時代から明治維新まで、交通の要衝を見下ろすその山では、何度も激戦が繰り広げられた。俺は、山に踏み込んでから、寒気や痺れを感じ続けていた。馬鹿でかい慰霊碑の前では呼吸が苦しく、顔を上げることさえできなかった。
慰霊など、これっぽっちもできてない。慰霊碑の周囲は、それこそ、殺気の見本市だった。手足ひとつ、首ひとつ、そんな言葉が空気いっぱいに満ちている。毛穴を押し広げるように、それらの殺気が潜り込んでくる。この山が激戦地になった大きな理由が、交通の要衝を抑えるという地理的要因にあることは間違いないが、山に沁みついている、古代からの刃の記憶が、ここで戦う男たちを血狂いさせたに違いない。
歩くほどに、じっとりした重い気配を俺たちは引き寄せ、引きずっていた。それを感じているらしいのは俺だけで、他の3人はいつもどおりに歩いている。俺は、休憩でもしようものなら、足元を何かが埋め立てていくような気がしてどうにも落ち着かない。足首が木の根のように固くなり、その場から動けなくなりそうだった。
テントを設営し、暗くなったあたりで、どうにも不快な感じが拭えなくなった。他の連中は食事の仕度だろうと何だろうと、テントの外へ出たがらない。それぞれに奇妙な違和感や不快感を抱えていた。風は強く、からからと石が鳴り、屋根型のテントの支柱が揺れ、フライシートを固定する紐が外れたのか、テントの表地をぱたぱたと叩く音が続いた。全員が顔を見合わせ、曖昧に視線を外した。入り口に一番近いのは、俺だ。
「開けていいか?」
友人3人の他、外の殺気に追われてテントの中に沁み込んできた全員が、首を横に振った。テントの外でも中でも、写真を撮ったら、何が写るだろう。そう思い、結局カメラを手にすることなく終わった。