何歳の頃かも忘れてしまった、幼い日の出来事。山や田んぼには、神様が住んでいるという話を聞いた事がありますか?私の生まれた町では、お百姓さん達からそんな話を聞かされて育ちました。
ある日、私は幼馴染国彦君と2人で、彼の家の近所の神社の裏手の田んぼのあぜで遊んでいました。親からは『明るいうちに、帰っておいで』ときつく言われてはいましたが、楽しい時間はあっという間にすぎ、あたりが薄暗くなってきてしまった時、それは起こりました。苗の植えられている田の水面が鏡のように調い輝いて、その中では、怒り心配している私と国彦君の母親と、近所に住んでいる同級生の母親が映っていたのです。三人の母親の会話まで聞こえた記憶があります。早く帰らないと酷く怒られると思った我々は、急いで国彦君の家の前まで駆けて行きました。そこには、水面に映ったのと同じ服装、構図の母親たちの姿がありましたが、なぜか不思議には思いませんでした。
その後か先かは忘れましたが、田んぼに石を投げ込む遊びをした事があります。まだ苗の植わっていない田んぼは見晴らしが良く、大きな石を投げ込むと爆発するように泥と水飛沫を上げる事から、爆弾投げと呼ばれていました。その年、私の家の前の田は、神社に一束の稲穂をお供えする『神田』となっており、お神酒と、注連縄で飾られていました。私たちはいつもの年のように、大きな掴み易い丸めの石を選んで投げ込む事にしました。まるで注連縄がプロレスのリングのようで、幼い心に特別な思いを抱かせたのでしょうか?私は石垣に隠しておいた、模様の入ったお気に入りの宝物の石を投げる事にしました。
石の大きさは、多分大人の握りこぶし位だったのではないでしょうか。私は一番乗りで石を投げ、石は放物線を描いて水面へ。大きな水飛沫が上がった時、私は頭に強い衝撃を受けて、意識を失いました。目が覚めると、そこには母と、友人達、そして近所の医院のお爺ちゃん先生が覗き込んでいました。
「この石が頭にぶつかったんだよ」
と聞かされて、先生が見せてくれた石は、確かに自分が投げ込んだはずの宝物の石だったのです。周りにその事を訴えると、皆、急に押し黙り、その後両親に連れられて神社と田んぼに、お供えをしに行った記憶があります。