私は子供のころ大分県のとある村に住んでいました。大変な田舎で、村の周りは山とうっそうとした森に囲まれていました。村の前から続く林道をしばらく行くと、山に続く分かれ道があり、そこをさらに登ってゆくと、山の頂上に小さな廃寺がありました。ずいぶん傷んで不気味な寺なので、好奇心旺盛な子供たちもあえてそこで遊ぼうとはしませんでしたが、あるとき友達何人かとその廃寺を探検することになりました。
建物の造りはいたって簡単で、中央に部屋がありその周りをぐるりと廊下が通っているだけのものです。土間から入って廊下を進み、突き当たって右に曲がること二回で部屋に至りました。しかし誰も管理して
いない廃寺のこと、埃まみれな上取り立てて何があるわけでもなく、ただ壁に物憂げな女性の絵が描かれたかけ軸がかかっているだけでした。そこで私たちはその掛け軸を戦利品として持ち帰ることにしました。さて、外に出ようと、もと来たのと逆に廊下を進んで左に二度曲がりましたが、外に出るための土間がありません。「おや?」と思ってさらに廊下を進んで突き当たって左に曲がりましたがやはり土間に出ません。私たちはみな血の気が引きました。誰からとも無く走り出しましたが、進んでも進んでも出口がありません。
突然、掛け軸を持っている子が悲鳴を上げて掛け軸を放り出しました。先ほどまで悲しげな顔をしていた絵の女の口元がこころもち笑みを浮かべていたのです。そのとき、一番年長の少年が「掛け軸を元に戻そう」と言い出しました。私たちはもう生きた心地もせず、部屋に引き返すなどまっぴらだったのですが、一番落ち着いていたその少年に従って、気味の悪い掛け軸を、絵の部分に触れないようにつまんで引き返し、部屋の壁にかけ直して再び廊下に出ました。突き当たって左、さらに突き当たって左・・・。するとこんどは土間に出ました。出口からは夏の日の光がまっすぐに差し込んできています。私たちはわけのわからない叫び声を上げながら外に飛び出しました。それ以来私たちは二度とその寺に近づこうとはしませんでした。
この廃寺は丑の刻参りの現場としても人に噂されていました。丑の刻参りとは、恨みを持つ相手のつめ・髪などからだの一部をわらの人形に織り込み、それをご神木に五寸釘で打ち付けることで相手に災いをもたらす呪の方法です。ただし、人を呪わば穴二つ、万が一呪をかけているところを誰かに見られれば、呪返しといって、相手にかけようとしていた呪いが自分に跳ね返ってくるのです。だからこそ他人の目に触れない深夜にこの儀式は行われるわけですが、もし誰かに見られれば、「見られなかったことにする」…つまり見た者を殺すことでしか呪者は呪返しから逃れることができません。私の母は子供のとき、この廃寺で丑の刻参りにまつわる恐ろしい体験をしました。
その日母は、友達と少し離れた町での夏祭りに行きました。祭りが終わった後も母と友達は花火などをしてすごし、自転車をこいで村へ帰る頃には日付も変わっておりました。真っ暗な林道を友達と一緒に黙々と進んでいた時です。廃寺へ続く分かれ道に差し掛かったとき、友達が「何か音がする」といって立ち止まりました。耳を澄ませると、かすかではありますが、カコン・・・カコン・・・、と、奇妙な音が聞こえてきます。なにぶん怖いもの知らずの娘時分のこと、祭り後の覚めやらぬ興奮にまかせ、母と友人は肝試しでもするつもりで音に導かれるままに分かれ道を廃寺の方へ向かって登って行ってしまったのです。奇妙な音は寺の境内から聞こえてきました。20分ほどかけてようやく頂上に辿り着いた二人は石階段の影に身を隠してそっと境内をのぞき見ました。すると、寺の前のひときわ古い大木に、白装束の女が何かを打ち付けています。女が木づちを振るうたびに、カコン・・・カコン・・・と、あの奇妙な音が真っ暗な山の中に響いているのです。
「(丑の刻参りだ!)」
二人はすぐさま自分たちが見てしまったものが何かを悟り、わき目も振らず引き返そうとしました。しかし、そのとき母の下駄が砂砂利を踏む音を立ててしまいました。女がその音に気づき、こちらを恐ろしい形相でにらみつけました。母と女の目が合いました。母も友達も、射すくめられたように身動きが取れませんでした。
「お前たち・・・見たのか!!」
女が低い声で怒鳴り、こちらへ向き直ってまっすぐ歩き始めたとき、母は初めて悲鳴を上げて友達の振袖をつかむと一目散に石階段を駆け下り始めました。女が追ってきているかは分かりません。ただ無我夢中で階段をかけ続けました。
ようやく階段が終わりもとの分かれ道に辿り着き、そのまま村の方へ一目散に駆け出したときです。
「この自転車、きみたちのかい?」
後ろから男の声がしました。振り返ると、村のただ一人の駐在がいました。警邏中に林道の分かれ道でほったらかしにされていた自転車を見つけていぶかしんでいたところだそうです。母と友達は駐在にしがみつくと「おばけ、おばけ」と泣き喚いたそうです。駐在は笑いながら村までついてきてくれました。すっかり遅くなって帰ったことで母は祖父母にこっぴどく怒られましたが、母自身はそれどころではなく、そのまま布団にもぐりこむと恐怖のため翌三日間熱にうなされ続けたそうです。
今から5年ほど前に、この古木は、枯れて枝が落ちてくる危険があるために切り倒されました。その幹を調べたところ、丑の刻参りに使われたと思しき五寸釘が100本以上出てきたそうです。