葬儀会社の呪いの鏡

実家が葬儀用具の卸売をやってた。親父が確か4代目だか3代目。
俺は長男で跡継ぎだったんだけど、経営が傾いていたことと、俺自身そんなに継ぐつもりもなかったので、親父が脳溢血で死にかけたのを機に会社を畳んだんだ。
寺とか神社とか、葬儀会社とかの直接な仕事じゃないとはいえ、やっぱり人の死で稼ぐ商売、心霊的な話はチラホラ親父から聞かされてきたし、たまーに俺も体験することがあったんだけど、その中で一番ヤバイ話。




会社を畳むことが決まって、家族で色々と片づけてた時だ。
事務所は親父の生家(随分前から住んではいないけど)だったから、会社の在庫やら親父、おばさんの私物やらが沢山あった。
で、まだ使えそうだけど俺たちは使わないし、とはいえ捨てるのも勿体ない、みたいなものを表に出して、欲しい人に持っていってもらおうって事になったのね。
住宅地だとたまにあると思う。
玄関に段ボールを置いて『ご自由にお持ちください』って、アレ。

事務所にはみんなが期待しているような呪いアイテムも当然あった。
ヤバイ具合に薄汚れた日本人形とか、人の手の皮?が張り付いたハサミとか、でも、そういうものはちゃんと仏壇の横に整理してあって、そういうのは親父が管理して、後日神社に持っていく手筈になっていた。
一つ一つ丁寧に紙に包みながら親父が、「このハサミは○○が、九州のお客さんが死んじゃったからってんで預かって来たんだけど、△△が触ったら手から離れなくなってな!どうしようもなくなって神社にいって、祈祷しながら無理やりはがしたんだよ!そのゴミみたいな奴、○○の手の皮だぞ。俺以外は触るなよ~」 とか説明するもので、俺はこの会社継がなくて本当によかったとか思ってた。
それでも親父が言うには、本当にヤバイ話は“伝染する”ということで、継がないなら俺たちには話さないということだった。

で、それから数日経った頃、親父が俺に電話かけてきたんだよ。
『お前、紅い、牡丹柄の手鏡を見なかったか?』って。

なんでも、呪いアイテムは全部帳簿管理して、定期的に懇意にしてる神社に持ちこんでたんだけど、あったはずの手鏡が無いんだと。
んで、見た目には綺麗な漆塗りの上等なものだから、間違えて『ご自由ボックス』に入れたりしてないだろうか、ということだった。
いつもあっけらかんとしてる親父の切羽詰まった感じの声に、それはどういうものなのか、どんな由来のあるものなのか?って聞いたら、「いやー、これはしかしだなー、うんー」とか言いだすので、あ、これはヤバい話なのかもしれない。と思って、詳細を聞くのはやめといた。
とりあえずボックスに入れた記憶は無いので、忘れた方が良いんじゃないか?って言ったんだけど、もし万一外に出たら死人が出ちゃう。家の中にはあると思うから、再度探してみる。ってことでその場は終わった。

さらに後日、俺とは別の土地で一人暮らしをしている姉に会う機会があった。
姉は父に似て豪放磊落というか、「ガッハッハ」と笑うタイプの女性だったんだけど、妙に暗く、ボソボソと喋るようになっていた。
何かしゃべる前に必ず「ごめんね」とか、ネガティブなワードを付けてくる感じ。
あと、何故か所々に敬語が混じるようになっていた。
「ごめんね、“弟”メニューとってください」とか。そんな感じ。
正気を失ってる!とかいうほどではなかったんだけど、顔色も良くなかったし、言っちゃ悪いがデブだったのに、結構なホッソリさんになっていたこともあって、何か精神的に病んでいるのでは?と思って、分かれて直ぐに母に相談したら、「直ぐに会いに行く!」と言って、様子を見て、ヤバそうならしばらく姉と暮らす!と言っていた。
実は姉は学生時代に拒食症→過食症→リストカットの3連コンボをキメた過去があって、母は姉に対して少し過敏になっている部分があるんだ。
今思えば、俺は姉ちゃんの様子がおかしいって、親父に相談すべきだった。

1か月ほどしたある日、親父からいつになく真面目な声色で、直ぐに家に来て欲しいと言われたので、実家に帰って見たものは、変わり果てた姉と母の姿だった。
見た目は明らかにやつれていて、骨と皮の老婆みたいになっていた。
前にネットで見た、ベジタリアンの女の子の画像そっくりだった。
そして、俺や親父に対して敬語で喋っていて、一人称を『僕』と言っている。
何より異様なのが、真っ白なおしろいに真っ赤な口紅に、おかっぱのちょっと長いバージョン?みたいな、全く同じ髪型をしていた。
「お母さん!どうしたの?姉ちゃんも何言ってんだよ!」とか激しめに話しかけても、「ごめんなさい。直ぐに片付けます」とか、「ごめんなさい、お荷物どかしますね」とか言って、どう見ても異様な感じだった。
さらに極め付け。俺と親父が目を離すとキャッキャと子供のように二人でじゃれ合いはじめるんだが、二人はお互いにお化粧をし合いながら、牡丹の柄の手鏡を使っていた。

頭を抱える親父に説明を求めると、少し迷った後に、「どうせ説明するつもりで呼んだんだしな…」と言って、経緯を話し始めた。
「あれは、ウチに丁稚奉公に来てた小僧の持ち物だったんだ」昭和初期はウチの会社も景気が良く、従業員も結構いたんだけど、商売柄、少し白い目で見られることも多く、普通の社会人というよりは何かしら事情のある従業員が多かったらしい。
その中の一人に、丁稚奉公に来てた少年がいた。
少年はコドモオカマ(と、親父は言ってたけど、たぶん性同一性障害?ってやつ?)で、親がどんなに注意しても周りに隠れて化粧をしたりするもので、顧客だった親から半ば厄介払いの体で会社に丁稚奉公に出されたのだという。
昭和にそんな時代劇みたいな奉公とかあんのかよ?とか思ったけど、どうも本当らしい。
でも、当然会社でも厄介者扱いされるわ、通わせていた学校でもいじめられるわで、次第に心を壊していき、最後には会社で首を吊って自殺したんだとか。

当時は自殺、夜逃げはそんな大事件!という程のことじゃなかったらしく、「かわいそうなことしたな」くらいで終わったそうなんだが、彼の遺品の手鏡が、曰くの品になってしまった。
最初の犠牲者は従業員の娘。
遺品の中でも大きい物は実家に送り返したそうだけど、小さい者は処分することになったんだけど、綺麗な手鏡は勿体ないと思ったのか、従業員が自分の娘にあげたそうな。
しばらくすると娘が自分の事を『僕』と言い始め、やたらと化粧をしたがるようになる。
知的障害のようになり、どんどんどんどんやつれて行き、最後にはやせ細って死んじゃったと。
次にその従業員。
頭がおかしくなって亡くなったとはいえ、娘のお気に入りの遺品である手鏡を仕事中によく見てたらしいんだが、ある日から急に化粧をし出し(もちろんオッサン)、やつれて会社に来なくなり、自宅で首を吊っていた。
このあたりであの手鏡はヤバイ!直ぐに神社に!という話になったんだけど、神社に持っていったら「無理やりあの会社から引き離したら会社がつぶれる」という旨のことを言われて、それからずっと保管してあったのだそうだ。

何故、あの手鏡を姉が持って帰ったのかはわからないが、どう見ても異常事態だった。
親父が俺を呼んだのは、二人を縛り上げて神社に持っていくため。
俺の方が当然力が強いとはいえ、キチガイのようになってしまった実の母と姉を縛り上げて車に乗せるのは、つらくて涙が出てしまった。
親父の運転するハイエースで神社まで行き、そこで全員祈祷してもらって、いくらか症状が落ち着いたように見えた姉と母は、「まだ完全に祓うには時間がかかる」ということだったので、親父が金を包んで、総本山?的な泊まれる施設のある某神社に移送となった。
俺と親父が出来る限り頻繁に先祖の墓参りをして、仏壇をきれいに整え、信心を持って祈っていれば、必ず母と姉は元に戻る。と言われた。

これが3ヶ月前の話。
親父が行くと良くない(何故かは知らない)とのことで、俺が月1で某神社に行ってるんだけど、姉と母はもう見た目には正常に戻っているように見えた。
髪型がスポーツ刈りみたくなってたのが可愛そうだったけど…
姉も幸いフリーターだったから、もともと職歴ないようなものだし、大きな問題は無い形で終わりそうで、本当に良かったと今安心しているところ。

でも不安要素もあって、一か月くらい前かな?
一息付いたなーって時に親父が言いだしたんだよ。
「あのな、あの呪いアイテムリスト…あと3個、見つからないものがあるんだよ…」
もう怖くて怖くてしょうがない。
建物ツブして、地鎮祭みたいなのやれば瓦礫に埋もれた?はずの呪いアイテムも祓われないかな?
って今は考えてます。

『葬儀会社の呪いの鏡』へのコメント

  1. 名前:匿名 : 投稿日:2018/04/22(日) 16:55:18 ID:
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    丁稚奉公や年季奉公は昭和初期まで当たり前の雇用形態だったよ
    金のない田舎なら、尚更。丁稚奉公は終身雇用で、年季奉公は派遣社員と考えたらいい

    俺の母方の実家は昔庄屋だったから、奉公人の部屋があって母や俺は入る事が出来なかった

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