うちのじいさんの田舎が茨城なんだけど、昔は土葬だったそうだ。
その頃の棺桶って、樽みたいで遺体は体育座りみたいにして入れられた…って理解でいいのかな?
墓地は浜辺のすぐ後ろの雑木林だったそうなんだ。
1960年の中頃から浜辺の浸食が始まり、波はどんどん墓地に近くなっていった。
ところが、誰一人として墓を何とかしようとは言い出さなかったらしい。
その頃にはほとんどの家が新しい場所に墓を移していたんで、浜辺の墓地は無縁仏だけが残される形となった。
無縁仏と言っても元からではなく、長い年月の間に血筋が耐えてしまったのだろう。
移設の話が始まらないまま長い年月が経って、潮が満ちると水にすっかり沈んでしまう墓も出てきた。
潮が引く時に土を一緒に持っていかれて、棺桶が露出する。
露出した蓋はもうとっくの昔に腐っていて、骨が見え始め、そして流され始めた。
そこの海は引きが強くて、遠浅かと思えばいきなり深くなる。
少し沖へ出ると潮の流れが強くて、絶対に戻ってはこれない。
地元の人はそこでは絶対に泳がない。
とうとう骨が見え始めたので、急いで対策を…などと言っている内に、台風がきてしまった。
高波にのまれて、墓は全部海へ持っていかれてしまった。
それ以来、夜になると「お~い」って呼ぶ声が聞こえたり、人が何人もいて、ボソボソと話す声が聞こえるようになって、
これはきっとあの無縁仏だから供養しないとな、って話になった。
ちょうどその頃、サーファー達が穴場を探すのが流行り始めて、その浜も波が高いことから目をつけられた。
何も知らないサーファー達が来ては、沖へどんどん流されたり、何かに足を引っ張られて溺れかけたり、と事故が相次いで起きたそうだ。
危険なので、『遊泳、サーフィン禁止』の札を立てても効果はなかった。
町では、あの無縁仏が人を呼び入れているに違いないという事で、もと墓地かあった場所に防波堤を作り、足を高くした祠を建て供養した。
供養した後、ひと足はどんどん減り、最近はめったに見なくなったと従兄弟が言っていた。
今でこそ携帯電話の普及のお陰で、何か事故があった場合はそれぞれが110番に連絡するが、昔は海に近い家へ助けを求めに来ていた。
波待ちの間に沖へ流されたら最後、もう自力では戻っては来れない。
これが一番多い事故だったそうだ。