確かにある日曜の記憶

小学校の頃、体が弱くていつも自分の机で勉強ばっかりしている、S君という男の子がいた。S君は勉強ばかりしているくせに何か鈍くさくて、いつも成績が悪かった。だからいつもそれをみんなに馬鹿にされて、友達もいなかった。一方、その頃俺は学校でちょっとした問題児だったが、なぜか閃きとかはよかったので、テスト等は簡単に出来た。

俺はS君をいじめるような口調で「お前こんなのも出来なかったのかよ。こうやりゃいいんだよ」と話しかけてみた。それが嬉しかったのか、S君は何か分からないことがあるといつも俺に聞いて来るようになった。俺ははじめそれが疎ましかったけど、だんだん彼とも打ち解けて、普通に話せるようになった。

ある日曜日、S君が初めて俺を自分の家に招いた。S君の家はぼろいアパートの一室で、両親は遅くまで帰ってこない。リビングの机の上で、やっぱりS君は勉強をしていた。俺は「また勉強しているのかよ。しょうがねえな教えてやるよ」と言う感じで、いつものように彼と話をしていた。すると彼が急に、「今まで話してくれて本当に有難う」というような主旨のことを言ってきて、そのお礼にと「部屋にはおもちゃもあるし、台所にはお菓子もあるし、この家にあるものは何でも持って行っていいよ」と言う。感謝されるようなことをした覚えはないから、「何もいらない」と言うと、彼は「そうかわかった。悪いけど今日はもう帰ってほしい。理由は聞かないで欲しいんだ」と言う。不思議に思いながらも、俺は彼の家を後にした。

次の日の月曜の朝礼で、彼が死んだという連絡を受けた。彼の両親は、彼が死ぬ数日前に彼を置いてどこかへ失踪してしまったらしい。彼の病気は詳しくは知らないがかなり重いもので、治療費が相当な負担だったそうだ。それで夫婦間にいざこざがあったらしく、ひどい話だが、恐らく彼のことも疎ましく思い始めてしまったのだろう。彼の死体は、両親が出て行ってからいつまでも帰ってこないのをずっと心配していた隣の住人が、心配して中をのぞき見つけたそうだ。

驚いたのは、朝礼で校長が言っていた死亡した日のこと。
「4年生のk崎s太君が、○月○日土曜日の昼にお亡くなりになられました」
俺は日曜の夕方まで、確かに彼と話していたはずだったから、何かの間違いかと思い、職員室で先生達に問い詰めたが、警察が発表した死亡推定時刻は、土曜日の12時から14時だと言う。俺が彼と日曜日に最後に会ったことを言うと、「また問題児のAが嘘言ってるよ」と言う感じで、職員室中から馬鹿にされた。教室でも同じことを言うと、級友達から同じような目にあい、俺はもうそのことをずっと心にしまって隠し、時々こっそり彼のお墓参りに行ったりしてた。

20歳になった今に至り、今でも時々思い出して考えてみる。死亡推定時刻に誤差があるのは分かる。だが、一日以上誤差があるとは、いくらなんでも考えられないんじゃないのか。何か現場に、死亡推定時刻を大幅に間違えるような要因があったのか。それとも彼は、日曜日には既にこの世の者ではなかったのか。真相は藪の中だが、最後に彼の家のドアをガチャンと閉めたときに感じた、何かがすっと抜けて軽くなるような奇妙な感触だけが、今もやけに印象に残っている。

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