「イケニエ」の本当の意味・・・

テンジンキの話。そもそも天神逆霊橋っていうのは神奈川の話ではない。詳しい地名は失念してしまったが、東北の方のある村の話だった。その村では悪さをする子どもに「天神様の橋を渡らせるよ」と言って嗜めるのだ。天神様の橋というのは、その村からそう遠く離れていない山中にある吊り橋で、その橋を渡ることは禁忌とされていた。ただ、一年に一回だけその橋を渡る日があった。「逆霊祭り」の日である。

逆霊祭りとは、我々が良く知るお盆の様なもので、死者の霊が帰ってくる日を祝うといった趣旨のものである。そして、逆霊祭りには死者の霊を労うという名目で、「イケニエ」の儀式も行われていたのだ。8~12歳位の子どもがイケニエとして選ばれる。選ばれた子どもは、村の年長者に連れられ、橋を渡っていく。そして、神社に置いていかれるのだ。翌日には棺桶のようなものに入れられた「イケニエ」が村に連れられて帰ってくる。「イケニエ」は村に帰ってくると、棺を開けられることもなく、そのまま埋められる。

ある年の祭りの夜、一人の男が天神橋を密かに渡った。男はその前の年の祭りで自分の息子を亡くしているのだ。彼の息子は「イケニエ」に選ばれたのである。男は自分の息子に何があったのか知りたかった。だから、村では禁忌とされている橋を渡ったのだ。橋をわたりきり、獣道のような、道なき道を小一時間ほど進んでいくと、伝えられているとおり、神社があった。境内には灯篭があり、それには火が灯っていた。そのため、薄暗いが、境内の様子は見る事ができた。境内には誰もいなかった。男は社のほうに向かおうとした。「イケニエ」はそこにいると思ったのだ。

しかし、聞こえてきた足音に、男は近くの木の陰に身を隠さずを得なかった。足音は社の裏手から聞こえてきた。社の裏は深い森である。村の者はもちろん、この社の向こうには誰も住んでいるはずがない。しかし、足音の主は姿を現した。社の裏から正面に回ってきたのは、ボロボロの服を着た、数名の人間だった。

10人はいただろうか。男もいれば、女もいる。若者も、年寄りもいる。ただ、子どもの姿はなかった。彼らは社の前で一度集まった。全員いるか確認しているようだった。やがて、一列になって彼らは社の中に入っていった。ほどなく、子どもの泣き叫ぶ声、争う物音、そして、聞いたこともないような声…。男は社に向かい、中を覗いた。

中では「イケニエ」少年を先ほどの連中のうちの数人がが取り押さえ、他の連中が少年の上に馬乗りになって何かをしている様子が見て取れた。先ほどまで泣き叫んでいた少年は、すでに声も出さず、抵抗もしなくなっていた。遠くで村からの祭囃子が聞こえた。それ以外は実に静かなものだった。社の中からは「ガブリ」「クチュクチュ」というような音だけが響いていた。男は何が行われているのか、理解した。この連中は少年を生きたまま喰っているのだ。

なぜ、この村で、この連中に少年を「イケニエ」として差し出していたのか、それは男には分からない。彼らはこの山に住む民なのだろうか。それとも人の姿をした魔性のものなのか。その晩、男は震えながら木の影にいた。明け方、彼らが帰っていくのを見届け、充分に時間がたってから、男は社へ向かった。中には変わり果て、ほとんど骨だけになった少年の姿と、大量の血痕だけが残されていた。

この話は、俺の親父が会社の同僚から聞いた話だ。その同僚というのがこの話の主人公。男はその後、この村を離れ、神奈川に移り住んだのだ。

そして、この話の後日談(?)も存在する。男が神奈川に来たのは30年くらい前のことだった。そして、その年、神奈川県で子どもの行方不明が頻繁にあったという。これは当時の新聞などでも分かるが、事実である。児童失踪事件の多くは迷宮入りした。実は中には死体で見つかったものもあったそうだが、その死体の惨たらしさから、報道はされなかった。見つかった死体は「イケニエ」同様、生きているまま喰われたようだったのだ。歯形が体中についていたという。警察は親父の同僚にも話を聞きに来たらしい。彼は「俺はやつらに見つかったんだ。やつらは俺を追って神奈川まで来たんだ」そう語ったと言っていた。

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