その頃私は地方の水産試験場で働いていた。工場の二階の空き部屋にベッドなどの家具を運び込み住んでいたのだが、夜になるとそこに女の幽霊が出るようになった。まだ若い髪の長い女性で、どこを見るともなくうつろな目をしており、うつむきかげんで部屋の隅に立つのだ。悪さもしないし、特に何を訴えるわけでもないので、私はしばらくの間ほうっておいた。
しかし、あまり気持ちのいいものではない。女の立つ位置はいつも決まっているので、ベッドとその場所の間についたてを置いて見えないようにした。2、3日はそれでうまくいっていたのだが、こんどはついたてのこちら側、つまり私のベッドのすぐ側に女が立つようになってしまった。いまや女は私の寝顔を覗き込むようなかたちだ。
私は意地になってしまい、無視を決め込んだ。そのまま幾日か経ったある夜、私が寝ているといつものように女が姿をあらわした。しかし今日は何かか違う、何が違うんだろうと考えた私は、その理由に気づいてゾッとした。いつもは焦点のあっていない女の目が、その日に限って私の目の奧をじっと見つめてきているのだ。女と目を合わすと布団の中が氷のように冷たくなってくる。
いけないと思い必死で目をそらし、布団の中に潜り込んで丸くなるとだんだんと温もりが戻ってきた。ほっとした拍子につい女の目を見てしまった。また氷のような冷たさに逆戻りである。その繰り返しを何度続けただろうか、気がつくと朝になっていた。
このままでは命が危ないと思った私は、その日のうちに水産試験場を辞め実家に帰った。その後、その女の幽霊は現れることはなかった。