その日、わたしは親戚の法事に招かれ、山あいの集落を訪れていた。法事のあと宴会で盛り上がり、帰り支度を始めたのは夜の7時頃。この時間なら最終バスに余裕で間に合う。民家もまばらな道を歩いて行くと、街灯の下にバス停らしきものが見えた。バス停にはベンチが一つ置いてあって、バスを待つ人のために屋根がついている。
その待合所には先客がいた。大きなバックを膝に乗せた女の人で、うつむき加減にベンチの左すみっこに座っている。セミロングの髪が両頬にかかっていたので、人相はよくわからない。わたしは相手に軽く会釈すると、ベンチの右はじに座った。バスが到着する時間までは30分以上もあった。民家は遠く、車も通りらない。聞こえるのは、うるさいほどのカエルの大合唱だけ。
しばらくすると、あいだをあけて座っていた隣の女の人が、バックをガサガサやりながら何かを取り出した。彼女は何度も何度もバックから何かを取り出すと、口元へ運んで行く。私は前を向いたまま、チラリと盗み見るように視線だけを動かした。彼女がバックから取り出しているのは、お菓子の「ポッキー」のようだ。わたしは視線を戻し、カエルの大合唱に耳を傾けた。
何分か経った頃、先客の女性はまたバックをガサガサやり始めた。どうやら新しい箱を開けているようだった。さっき開けたポッキーは全部食べてしまったのか、前を向いたままでも、視界の端で彼女がうつむき加減にポッキーを食べているのがわかる。ややあって、彼女はまたバックをガサガサやった。それからお菓子の箱を封切っているような気配がして、ポッキーが取り出され、彼女はうつむき加減に、黙々と食べ続ける。
よほどポッキーが好きなのか、それとも、お腹がすいているのか知らないが、6箱目のポッキーを封切る頃には、ちょっと薄気味悪くなってきた。わたしは相手に気付かれないよう、彼女の手元からその顔に視線を移し・・・・うつむき加減の女の横顔を見た瞬間、わたしはパニック状態になっていた。
てっきり「食べている」と思っていたポッキーは、飲み込みもせず口に突っ込んだままになっていたのだ。女の口には、6箱分のポッキーが束っになって突き出し、口の両端からは溶けたチョコレートが血のようにギラギラと流れていた。
わたしは見てはいけないモノを見てしまったような気分になり、それから、急に怖くなってきた。わたしがそっと視線を戻そうとしたときだ。それまでポッキーを貪っていた女がゆっくりとこちらを向き、その刹那、目が合ってしまった。やけにギトギトした異様な眼光は、未だに忘れられない。わたしは何も考えられず、とにかくその場から走って逃げ出した。
あの女が何だったのか、いまだにわからない。