ある冬のことだ。わたしは伊豆の天城峠付近をドライブしていた。別に目的があったわけじゃない。なんとなく南伊豆にでも行ってみようと思っていた。天城峠にはトンネルが二つある。ひとつは現在の国道に作られた新天城トンネル。もうひとつは、有名な「伊豆の踊り子」にも登場する旧天城トンネルだ。
わたしはトンネルフリークではないが、旧天城トンネルの風情が好きだった。石をくみ上げて作られた旧トンネルは、車一台がやっと通れるくらいの小さな口径で、歩いて中に入ると真夏でも肌寒い。これを作った人たちがどんなに苦労したか考えると、いっそう趣深かった。その日は雪が降った後だったので、国道わきには除雪した雪が残っていた。だから家を出たとき、今日のドライブは新トンネルを通っていくつもりでいた。ところが、旧トンネルへ続く分かれ道にさしかかったとき、引き寄せられるようにハンドルを左にきってしまった。左は旧トンネルにむかう山道だ。
まぁいいか。どうせこのまま行っても南伊豆には抜けられる。除雪もしてあるようだし、4WD車なら大丈夫だろう・・・・わたしはそのまま旧トンネルにむかって車を走らせた。山道に入って5分ほど経ったとき、前方に人が歩いているのが見えた。70代くらいの、品のいいおばあさんだった。おばあさんはわたしの車が近づいてくるのに気づいて立ち止まり、車の到着を待ちわびるように、ジッとこっちを見ていた。
何だか嫌な感じがした。こんな真冬に、雪の山道をおばあさんがひとりで歩いているなんて、どう考えても不自然だ。商店街からそのまま歩いてきたような服装からして、登山客でもない。このまま無事に通り過ぎることができますように・・・・なんとなくそんな事を考えた。
少し緊張しながら車が近づくと、おばあさんはタクシーでも捕まえるように右手を高く上げた。止まらないわけにはいかなかった。気がつくとわたしはブレーキを踏み、窓を開けておばあさんに声をかけていた。どこまで行くんですか? わたしが尋ねると、おばあさんは旧天城トンネルの向こう側の山道まで乗せて欲しいと答えた。
おばあさんを助手席に乗せて車は走り出した。道が悪いのでスピードは出せない。黙ったままでいるのも気が滅入るので、わたしはおばあさんに色々質問してみた。おばあさんは、東京から電車とバスを乗り継いでここまでやってきたと言う。旧トンネルを抜けた山道で何をするのか、という質問にはこう答えた。山道を少し入った所に親友がいるので、そこで昔話でもしながら、今夜は泊まるつもりです。
わたしは腑に落ちなかった。この旧街道沿いの山は険しく、民家など一軒も無い。わたしがそう言うと、おばあさんは声を低くして真相を話し出した。実はその山道を入った場所で、昔、親友が自殺したのだという。彼女も警察と一緒に現場検証に立ち会った。これからそこに行って、親友の思い出にひたりながら、真冬の山で一泊する気だったらしい。
それじゃ、自殺行為ですよ。どうしてそんなことしようと思ったんです?わたしの言葉に、おばあさんはポツリポツリと身の上話をはじめた。彼女は長男夫婦と同居していたが、お嫁さんとうまくゆかず、恐らくは精神的に虐待されていたのだろう。生きていても仕方がないと考えるようになり、ふと、自殺した親友のことを思い出した。どうせ死ぬなら、仲の良かった友達の側に行きたい。歳をとると、人間はなおのこと寂しくなるもんです・・・・おばあさんに、わたしは返す言葉もなかった。
だが、このまま彼女を冬山に置き去りにするワケにもゆかず、話題を変えながら近くの警察署を目指して車を走らせた。警察に、この気の毒な老婆を保護してもらおうと思ったのだ。警察署に着くと、わたしはおばあさんに気づかれないよう窓口で事情を説明した。ほどなく、わたしたちは殺風景な小部屋に通され、出されたお茶には手もつけず、愛想のいい警察官と向かい合って一時間ほど話をした。
警察官はおばあさんから住所を聞き出そうとしたが、彼女は東京に住んでいる、ということしか答えなかった。そのうちおばあさんは、自分から「家に帰ります」と言い出した。警察官も面倒くさかったのか、あるいは手を焼いていたのか、彼女の言葉を鵜呑みにしてその場を締めくくった。それからわたしに、おばあさんを駅まで送ってやって下さい、と言った。
わたしは当然断った。このまま警察が、ちゃんとおばあさんを保護して送り届けるべきじゃないかと主張した。・・・・・・が。
自分で帰ると言ってるんだからその方がいいんですよ、始終愛想のいい警察官にうまく言いくるめられ、結局、近くの駅までおばあさんを送り届けた。
きっと家に帰ってくださいよ。 ちゃんと帰ってくださいよ。
別れ際、わたしはおばあさんに何度も念を押した。彼女は小さくうなずいて改札に消えた。
あれから数年、幾度か旧天城トンネルを通るが、おばあさんに会うことはなかった。もちろん、そこで自殺者が出たなんてニュースも聞かない。彼女が今でも生きているかは判らないが、きっと幸せに暮らしているだろうと思いたい。わたしがあの時、行くつもりもなかった旧街道を通ったのは、自殺した彼女の親友が、彼女を救うために呼んだんではないかと、時々、思うのだ。