「念返し」の日本人形

私は青森の親戚の家に東京から疎開しておりました。とても古い家でお婆様は盲目のイタコでした。私より3歳上のかよさんという方(血の繋がりはありません)がイタコの見習いとして一緒に暮らしておりました。かよさんは片目が生まれつき見えず、宮城から身売りの様な状態で青森に来た方でした。


とても明るく私の世話もやいてくれ、一人っ子だった私は姉の様に思っておりました。お婆様の身の回り全ての世話を見習いは引き受けますが、本当にあの頃は皆よく働きました。そんな折にかよさんが妊娠していることが解りました。昔の田舎祭りでは、村の男達と自由な性を行うことが普通で、結婚していない女性が子を孕むこともよくあることでした。ただ皆食べることがやっとの時代です。かよさんの子供は、生まれて直ぐにお戻りいただくという口減らしにより、お寺の軒下に生きたまま埋められました。そんなことが本当に日常にある時代だったのです。

お戻りいただいたのはお婆様の判断です。それからかよさんは離の倉に隠居して生活をする様になりました。それから5年程隠居生活をされていましたが宮城に帰ることになりました。私の東京の実家も苦しい状態だった為、私は青森に残っておりました。

かよさんが居なくなり、私が倉を自分の部屋として使うことになったのですが、屋根裏に足を運ぶと驚く光景が待っておりました。壁一面に墨でお婆様への怨みがつづられていたのです。そして一つ大きな木箱の着物入れが残っていました。私も恐ろしくなっていたのですが開けてみると、日本人形に髪の毛を巻き付けた物と鏡、小さな骨の様な物、お札が入っておりました。そして確かに人形が話すことを聞いたのです。人形は一言、ゆるさない、と私に言いました。私はイタコの行いを身近で見ていたこともあり、人形に魂が入っている、生きていることを確信しました。

直ぐにその時の主(父の兄)に伝え供養する様にお願いしましたが、お婆様が供養に反対しました。残っていた着物入れ一式をお婆様の部屋に移すとのことでした。お婆様は生霊程やっかいなものはないと言っておりました。倉の壁は漆喰で塗り替えましたが私は怖いというより、とてもやるせない気持ちで一杯でした。

私は一緒に入れてあった鏡をこっそり隠しておりました。一つでもお寺で供養しようと勝手に隠していたのです。供養に持っていくとお寺の住職さんが他にも一緒の物があったはずですよ、とおっしゃいました。私は鏡だけでいいから供養をしてくださいとお願いをしました。

それから不思議なことが起こるようになりました。私が鏡を覗くと度々黒い人影が見える様になり、それは私が高校を卒業して結婚するまで見えていました。特に私に害があることはありませんでした。ただ私の娘が中学生になった頃、鏡の中に黒い人影を見るようになりました。
娘にこの話は一切しておりません。勿論夫にも。

私はお婆様の持っている全てを供養しなくてはと思う様になり、何度もお婆様にお願いしましたが手放そうとしませんでした。そしてお婆様が亡くなり、主の奥さんが真実を教えてくれました。着物入れや人形、鏡はお婆様が念返しを行った物だそうで、かよさんのお戻りいただいた子供はお婆様の弟の子供だったそうです。

お婆様の葬儀と同時に全て供養をしましたが、人形にはお婆様の手で新たに何重にも髪を巻き付けてありました。お亡くなりになるまで念返しをしていたのだと思います。かよさんは宮城に戻り2年程で病で亡くなったそうです。今でも青森に倉は残っております。黒い人影は私達を守っていてくれた者だと信じております。

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