【とある遭難事故で】入れ替わった記憶

道路端に置かれた花束。テント場や山頂の煙草、缶ビール。どちらも死者に捧げられ、供えられたものだ。
「いいんだよ、吸うのが供養なんだから」
その日の同行者は、そうした手合いだった。それほど煙草に困ってる訳ではない。ただ、面白がっているだけだ。手にした煙草は未開封で、しかも見るからに新しい。素早くパッケージを破り、煙草を取り出し、咥えた時にはすでに火がともされているほど手早い。その日の同行者は、そうした手合いだった。


鋭い声がすっ飛んできて、それより早く手が飛んできた。同行者の口から煙草を叩き落とし、小柄な男が唾を飛ばして食ってかかり、テント場に居合わせた連中は、びっくりしてこちらを伺っている。食ってかかっているのは、管理人の手伝いをしている男だ。話を聞くうち、煙草を供えたのは、どうやら彼らしいと知れた。それでは、少々怒られても仕方あるまい。

「やられちゃったねえ」
その夜、俺たちのテントに管理人が酒持参でやってきた。友人や仲間のために供えた煙草を吸った方が悪いので、頭をかいて恐縮していたが、管理人の話を聞くうち、頭をかいていた手はひざに置かれ、せっかく注いでくれた上等の純米酒の事さえ忘れた。

あの男は、数年前の遭難事故での生存者で、色々あって、ここに居ついた。煙草を供えているのは、生存者ではなく、死んだ方だという。遭難事件の死亡者が、生存者に向けて煙草を供えているが、その煙草は、あの男が供えている。
・・・という事は、あの男が死んだ男?訳がわからない。

遭難事故の当事者は二人。あの男と、その友人だ。彼ら二人は、このテント場を出発した後で数日間、雪山に閉じ込められた。救助隊に発見された時、生きていたのは彼だけだった。一緒にいた彼の友人は死亡していたが、その死因は失血死だった。極限状況で生まれる美談は多いが、その一方で、深い絶望や恐怖が招く暴力行為や、それが発展しての殺人事件は、どうやら少なくないらしい。当然、生存者が発狂している事もあるだろう。彼に殺人の容疑がかけられたが、警察がどう調べても、彼の友人は自分の首を小さなナイフで刺して死亡したという結論しか出なかった。

彼は小さなテントの中、自殺を図った友人と向き合い、緩慢に死んでいくその姿を見続け、流れ出る血に足を浸し、友人が死体になった後は、その姿を見守り続けたのだ。同時に、あらゆる遭難事故の生存者が感じるという「生き残った罪悪感」を、特殊な状況下で、強く感じ続けていただろう。ようやく救助された時、彼はすっかり変わっていた。人格と名前が、死んだ友人のものになっていた。生き残った彼の中では死者と生者が入れ替わっているのだ。それでいて、記憶は元のままだった。

彼と友人の関係に即していえば、記憶の中では彼は自分自身を友人として扱っていて、山で死んだ友人の視線で世の中を、自分を、見ているのだ。記憶の中には、時として自分に向けられた悪感情もあるだろう。記憶にある彼の家は、今となっては友人の家なのだ。そして、新たな人格、名前となった彼には、その名前で過ごした記憶がない。行き場をなくし、精神が破綻した彼にとっては、最後に友人(あるいは自分)と過ごしたこの場所しか居場所がないのだろう。

毎月、彼の記憶の中の家族から管理人宛にいくばくかの金が送られてくる。管理人から金を貰うと彼は煙草を買い、死んだ友人(記憶の中での自分)に供えているのだという。確かに、彼の精神世界と現実世界を二枚合わせにして考えれば、管理人の言う通り、「死者が生者に煙草を捧げ、供えている」のだ。

「でもね、本当に、いい人間ですよ」と管理人は話を結んで小屋に戻っていった。翌日、山に登る気がすっかり失せた俺達は、ぼんやり煙草ばかりをふかして過ごした。

メールアドレスが公開されることはありません。