「異世界行き」のハイキング

私は自然がとても豊かな田舎町に住んでいる者です。町自体はごく普通の片田舎でチェーン店も多くありますが、少し車を走らせればすぐに農地の風景が広がり、緑豊かな山脈のふもとに連なっています。都会から引っ越してきたばかりの頃は多少不便さを感じていましたが、今ではこの美しい豊かな自然にこそ、親しみや愛おしさを感じるようになりました。


そんな私たち家族の週末の楽しみは、そういった自然への小旅行です。比較的標高のゆるい山もたくさんありますので、お弁当やおやつを持参してピクニック。秋には栗拾いができますし、冬になればソリやスキーで雪山を滑ります。年間を通しては、ちょっとしたハイキングコースで数時間の散策を楽しむのが、定番の日曜日の過ごし方です。何しろ色々なトレッキング・ハイキングコースがありますので、数年かかった今でも全く制覇ができていません。

先日も夫と子供と○谷のコースを歩いてみようかという話になりました。隣町の裏手に山があり、そこの谷間に沿って歩く数時間のコースです。さっそく、私たちは出かけました。コースの入り口に着くと、通常のハイキングコース同様、コース案内の地図とマークの説明がありました。コースごとにマークがあるので、それに従って歩いていけば道に迷うこともないという仕組みです。

ただ、そのコースは少々妙な説明がついていました。3種類のコース説明の下に
「…以上のマーク以外の印は、現在では使用されていないコースの道標です。見かけても、決してそれに従わないようにして下さい。×町観光課」
と記してありました。何だか変な書き方だな、と心に引っかかったものはありましたが、私たちは一番簡単な「赤丸マーク」コースに沿って歩いて行くことにしました。

谷間沿いのコースですので、歩いているとかなり肌寒さを感じました。私はしっかりと防寒してきて良かったと思いました。途中、飛び石を渡って小川を渡り、森閑部の小道を通ると、終着点とされていた「岩屋」にたどり着きました。巨大な石が組み合わさってできた自然の造形物なのですが、なるほど岩屋と見えなくもありません。古びたしめ縄がはってありました。

そこで水分補給をし、少し休んで引き返そうとした際に、夫が「あれ?岩屋の中に印がつけてあるよ。」と言うのです。その岩屋は閉ざされた構成ではなく、トンネルのように向こう側が見える形になっています。言われて覗いてみると、確かに岩の表面に印がありましたが…それは散策コース冒頭の地図に記してあった3つの印とは、全く異なるものでした。夫と子供はすでに岩屋をくぐりかけており、私もつられて入りかけ向こう側の様子を見ました。小道が続いていましたが、両わきの木々が異様な形にしなっており、何か不気味な雰囲気が漂っていました。

海の近く、風の激しい地域でこのように木々がしなうのを見たことはあるのですが、こんな山間部で何故…?何かがおかしい、と私の本能が直感しました。私は夫と子供を引き留め「これは昔のコースだから止めておきましょう。もうすぐ日も暮れそうだし…。」と説得しました。それもそうだと、2人ともすぐに向きを変えて、私たちは元のコースに戻りました。

何事もなく私たちは無事に帰宅できたのですが、その後私は何となく気になり、例の谷間のことを少し調べてみました。すると驚いたことに、数人の行方不明者が継続して発生している、という地元新聞の記事を発見しました。数十年前の昭和50年代頃から、肝試しに谷間のコースをたどった中学生が帰ってこない…というケースがいくつか散見されたのです。

岩屋の由来については何も記述はありませんでしたが、私はこの記事を読んだ瞬間に全身の毛がよだつのを感じました。岩屋の向こう側に見たあの曲がりくねった木々のトンネルは、ひょっとしたら異世界への入り口だったのではないか、と思えて仕方がないのです。その後もずっと散策やハイキングは続けていますが、私たちは人通りの多い、メジャーで安全なコースをとることにしています。

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