親戚のおばさんが、毎日墓参りするようになった。数年前、病気で他界したご主人の墓前で、おばさんは毎日、真剣に手を合わせていた。近所の人や、親戚は、よほどご主人のことが大切だったのだろうと、信心深いおばさんのことを感心した。だが、わたしは何か違うものを感じていた。
わたしがそのおばさんの墓参り通いを知ったのは、偶然だった。犬の散歩で近所の墓地の前を通ったとき、何気なく墓地を見ると、見知ったおばさんがお墓の前に立ったまま、深々と頭を下げていた。そのお墓には、数年前に他界した、そのおばさんのご主人が眠っている。わたしも、納骨に参列したので覚えていた。季節は1月頃だったと思う。真冬のそんな時期に墓参りに来る人はあまりいないから、ニュッと立ち並ぶ墓碑の中に立つおばさんの姿は、やけに目立って見えた。その時はわたしも、信心深いなぁ、と感心したのだが、次の日犬の散歩をしていると、おばさんは降りしきる雪の中で傘もささず、また墓参りをしていた。
わたしは何だか気になって、その墓地の前を通るたび、おばさんの姿がないか確認するようになった。わたしが犬の散歩でそこを通るたび、おばさんの姿があった。やがて夏になり、ひどい台風の日、まさかこんな日に墓参りしないだろうと思いながら車で通ってみると、ちょうどおばさんが、カッパに長靴姿で歩いてきた。わたしは車の窓を開けて話しかけた。こんな日に墓参りするのは危ないから家まで送っていく、と、わたしが言うと、おばさんは丁寧に断った。
おばさんは、ご主人の墓参りを済ませて帰るから大丈夫、と言って、ご主人のお墓の方に歩いて行く。そのまま放っておくことができず、わたしは墓参りが済むまで待っていた。30分ほど、おばさんはご主人の墓前で手を合わせ、やがてびしょ濡れになって戻ってきた。歩いて帰るから大丈夫と言い張るおばさんを、わたしは半ば強引に車に乗せた。おばさんを家に送っていく間、わたしは何気なく、墓参りのことについて訊いてみた。毎日欠かさず墓参りをしている姿が、ひどく気にかかっていたからだ。そのうち、おばさんが墓の前で自殺でもするのではないか、そう思えた。わたしがそう思ったのには理由があった。
おばさんの家は織物業を営んでいて、とても羽振りの良い裕福な家庭だった。わたしも、亡くなったおじさんにはとても可愛いがってもらい、遊びに行くたびに小遣いをもらったのを覚えている。おじさんは厳格な人で、自分の息子たちにはとても厳しかったのだが、数年前、ガンであっけなく死んだ。おじさんは死ぬ間際まで、自分の息子たちのこと、特に、長男のことを気にかけていた。
おじさんが亡くなった後、相場通り長男が仕事を引き継いだのだが、親戚の間で、どうもその家の商売がうまくいっていないらしい、という噂を聞いた。かなりの借金があって、住んでいる家屋敷も追い出されるかもしれない、と。借金を苦にしたおばさんが、おじさんの墓の前で、世を儚むのではないかと心配だったのだ。こんな台風の日まで墓参りするほど、何か心配事でもあるんですか?そう訊ねると、おばさんは短く答えた。
息子が手におえなくなったら、毎日墓参りに来るようにと、死んだおとうちゃんと約束していたから・・・。それだけ言うと、おばさんは家に着くまで黙ったまま、ひどく深刻な顔つきで外を眺めていた。
それから数ヵ月後のことだ。おばさんの長男が、突然、心臓麻痺で死んだのだ。知らせを受けたわたしは、仕事帰りにおばさんの家を訪ねた。借金に追い立てられたあげく、長男にも突然先立たれ、さぞ気落ちしているだろうと心配になった。家に行くと、ちょうど他の弔問客の足も途切れ、わたしはひとりでお線香をあげた。するとおばさんがお茶を入れてくれて、わたしの差し向かいに座った。そこでわたしは不思議に思った。おばさんの顔が、やけに晴れ晴れとしているのだ。
まるで、心に重くのしかかっていた重圧から開放されたような顔つきだった。その開放感からか、おばさんは、あの日の話の続きをし始めた。おじさんに代わって家業を継いだ長男は、すぐに賭博に手をつけるようになったのだという。仕事がうまくいかなくなったのは、賭博で作った借金を返すため、仕事の売り上げをみんな支払いに回してしまったからだ、と。
長男にはまだ小さな子供が二人いた。おばさんは、孫や、お嫁さんのためにも、何とか賭博から足を洗って欲しいと手を尽くした。だが、長男は聞き入れなかった。賭博で知り合った悪い仲間も家に出入りするようになり、もう、どうにもならなくなっていた。おばさんは、首でも吊ろうかと真剣に考えた時期もあったという。だが、自分だけ無責任に死ぬわけにはいかない。孫や、お嫁さんのために、自分の長男を何とかしなくてはならない、そう、思った。
その時、ふと思い出したのが、亡くなったご主人が死ぬ間際に言い残した言葉だった。
「長男が手に負えなくなったら、毎日墓参りに来るように」
長男の性格をよく知っていたおじさんは、とにかく、自分が死んだあとのことを気にかけていたらしい。もし、長男が人の道にはずれるようなことをして、家族を困らせることがあったら、俺が必ず長男をむかえに来るから、おまえはそれを知らせるために毎日墓参りにこい、そう言ったのだという。わたしは、信じられない気持ちでその話を聞いた。
長男は、父親に連れられて、あの世に行ったのだろうか。その後間もなく、おばさんの家は借金のために差し押さえられ、売られてしまった。おばさんは、住み慣れた大きな家は失ったが、孫とお嫁さんと一緒にアパートに移り住み、つつましくも、幸せそうに暮らしている。