ある時期、毎月登っていた山には、湧き水があった。
水道からポリタンクに注いだ水を持ってそこまで行き、そこで水を捨て、湧き水に入れ替えるのが習慣だった。ポリタンクは直方体に丸い口がついている形で、容量は1リットルから2リットル程度。必ず、どんな時でもそこでは小休止を取った。
週休二日など夢物語だった頃、仕事を片付け、一人で夜の山道を歩いていた。翌朝の出発地まで、できるだけ早く着いて、眠りたかった。 休憩したのは、そこがいつもの場所だから、大変うまい水が湧いている場所だからに過ぎない。とはいえ、ぽつんと一人。さっさと水を入れ替えてしまおうと、ポリタンクから水を捨てて藪を掻き分け、湧き水の流れにポリタンクを沈めた。
ふと気付いた。手元が明るい。見回すと、漆黒といって良い闇。手元に目を落とすと、やはり明るい。ポリタンクが、というよりポリタンクの中で水が光っているのだ。ゆらゆらと揺れる水に合わせるように光が揺れている。小さな流れからポリタンクの口に触れ、流れ込んだ水が光を発している。
不思議な思いで水を眺め、ポリタンクを目の高さに掲げた。半透明のポリタンク越しに光る水の水面上、何かが光をはね返してきらめいている。虫だろうか。光はともかく、虫や木の葉が入り込むのは、それほど珍しい事ではない。ポリタンクの口から中を覗いた。
合戦中だった。小さな小さな船にのぼりを立て、もっと小さな人間同士が刀と槍で戦っている。声は聞こえず、赤と黄色の二手に分かれた小船の集団同士が船を寄せ合い、小さな人々が船から船へと跳び渡り、突き合い、斬り合っている。服装は色鮮やかだが、それ以上はよく分からないほど人々は小さい。もっとよく見ようとポリタンクを傾けると、船が湧くように現れる。水面が揺れると、その小さな突起が形をなし、小船が現れるといった按配だ。斬り合いに負け、船から転げ落ちた小人は、しぶきも上げず、そのまま水に溶けてゆく。
何かを積み上げ、それに火を放って火の玉のようになった小船が水面を走り、それに体当たりされた小船は、ひとたまりもなく砕け、沈んでしまう。ポリタンクを揺らし、水面が揺らめくと、沈んだよりも多いかと思えるほどに、小船が湧き上がる。際限のない殺し合いを目の前で見ているにも関わらず、美しかった。間違いなく、美しかった。
ぴちっと水がはね、俺の目に当たった。目をつぶり、目を開き、まばたきをした。闇だった。水の流れる小さな音が聞こえた。ポリタンクに口をつけ、水を飲んだ。うまかった。