初日は土合駅から徒歩でマチガ沢出合の幕営地で一泊。翌日は尾根伝いに谷川の双耳峰、一ノ倉岳も無事に越え、宿泊予定地の茂倉岳の避難小屋に着いたのは確か昼前でした。梅雨時には珍しく天気もよく、爽やかな風が時折吹いてきます。私はこの山が七百人近い人の命を呑み込んだ山と言うことさえすっかり忘れていました。
小屋の中は大人四人が寝て荷物を置くと、ほぼ一杯の広さです。小屋に入る時に二枚の扉の内扉が壊れて、開きにくくなっていました。しかし、雪の季節でもないし、雨風をしのぐには十分でした。翌日は下山予定でした。
夜半過ぎに天気が崩れ、私の頭の上にある小さな窓が風に吹かれてバタバタと音を立てていました。昼の疲れが出たのか、その音も気にならなくなり、私はすーっと眠りに引き込まれていきました。私はいつも山に入ると大体一時間置きに目が覚め、このときもそうでした。何度目かに目を覚ましたのは、起床予定の三時五分前でした。この日は私が起床係でしたので、ちらちらと時計を眺めては時の経つのを待っていました。相変わらず窓枠は雨風に叩かれ、大きな音を立てています。しかし、重い扉はびくともせず、音一つしませんでした。
その時です。突然それまでシーンとしていた室内の静寂を破るように外の扉が『ドンドンドンドンドン!ドンドンドンドンドン!』と規則正しく二回叩かれたのです。それは私が起床の声を掛けるのとほぼ同時でした。
真っ先によぎったのは、『遭難者が救助を求めているんだ』ということでした。それにしては誰も反応しないのです。明らかに他の三人は起床の声を待っていると言った様子でした。風の音にしては……と考えながら時計を見ると、三時を一分ほどまわっています。『やべっ』と思い、起床の声と共にガバッと起き上がると食当の準備に取り掛かりました が、何かいつもと様子が違いました。
普段ならうるさいほど指示を出す四年生がじっと黙っています。手をとめる訳にも行かず、黙々と作業をしていると、しばらくしてS先輩が『○島、今の聞いたか?』と聞いてきたんです。やっぱり他の人も全員が聞いたそうです。明らかに人為的に叩いた音であると皆口々に言っています。S先輩に『お前、外見て来い』と言われ、恐る恐る扉に手を掛けました。本当にこのとき程怖かったことはありませんでした。
扉の向こうには誰一人おらず、ただ私の懐中電灯の明かりの中を雨と霧がサーッと流れていくだけでした。結局なんだったか分からないまま、何も見えなかったと言うと一気に緊張が解け、皆急に饒舌に話し出しました。その時先輩の一人が言った言葉に私は背筋がぞーっとしたことを今でも覚えています。
『ここの避難小屋って結構やばいんじゃないの?だってさあ、この山なら冬に遭難した人の遺体とかってずっと安置されてるだろうし。』
そうです。夏こそ穏やかですか、冬の谷川岳といえば、豪雪地帯として有名で数多くの登山者の命を奪ってきた場所なのです。あれから十五年近く経ちましたが、現在は避難小屋も改装され、今も多くの登山者を迎え入れています。