小学六年生になるとみんな県内で一番高い山に登るっていう風習がある場所に住んでいた。その山に登ってやっと一人前、その山に登ることで中学生になれる、みたいな感じだった。当然俺が小学六年生のときもその登山は実施された。小学生にとっては貴重な夏休みの二日間を費やされるのでノリ気な奴はあまりいなかったが…。一日目は山には登らずハイキングコースみたいなところを歩いて今晩泊まる山小屋まで生徒全員で行くだけで終わった。その日の夜は事前に仲良しの友達だけで割り振られたた部屋で散々騒いだ…んだが、俺は運悪く軽い高山病になってしまい、騒ぐ友達たちを横目に先に寝てしまったんだ。
ふと目を覚ますと、高山病はかなりよくなっていた。でも部屋の明かりはすでに消されていて真っ暗。(あーあみんな寝ちゃったか…じゃあまた寝ようかな)と思ってもう一度布団をかぶった。…寝付けない…寝付けない上に尿意までやってきた。(うわぁ最悪だ…こんな山小屋で一人でトイレ行くとか絶対無理…っ)先述したとおり、俺の地域に住んでいる小学生たちはみんなこの山に登るから当然滑落死亡事故とかも何年かに一回は起こってる。
そしてその山のふもとにある山小屋はここ一軒しかないから亡くなった子供たちもみんなここに泊まった訳だ。自分が次の日に死ぬとも知らず。そう考えるとトイレどころじゃないくらい怖くなってきて、おねしょしないことを祈りながら眠りにつくことにした。
…が、そんな簡単に尿意は去るわけもなくソワソワと貧乏ゆすりをしていると「おい、起きてるか、おい」と、隣で寝ていたAが俺を体をゆすってきた。「ん?なに?」今まで寝てましたよ、という感じにダルそうに返事をする。「トイレ行きたいんだけど…一緒に行かね?」まさに僥倖、この時ばかりは本当に神の存在を信じた。「ったく仕方ねーな!いくかー」と本当は行きたくないけど仕方なくついてってやるか、という自分を演じて俺とAは部屋を出た。
この山小屋は簡単な作りでながーい廊下が真ん中に一本あり、その脇に宿泊部屋がいくつもあってその廊下の突き当たりが食堂とトイレになっている。俺とAのいた部屋は一番トイレから離れていて予備の照明しかついてない薄暗い廊下をいそぎ足で歩いた。なんとかトイレにたどりついたとたんにAはすごい勢いで大便器のほうの個室に入ってしまった。どうやらAは大の方を相当我慢していたらしく、俺の苦しみとは比べものにならない苦しみを味わっていたようだった。俺は限界まで我慢していたわけではなかったため、Aを茶化しつつ小便器で用を済ませた。当然Aを置いて先に帰るわけにはいかず、トイレの入り口でAを待っていた。トイレの前の廊下はトイレの入り口からこぼれる光だけで照らされていて、さっき布団の中で考えた「亡くなった小学生」のことが頭をちらちらよぎる。早く出てこいよ…遅いよ…と怖さを紛らわすためにぶつぶつと独り言を言っていた時。
「おーい、いるかー?」と俺を呼ぶAの声がトイレの中から聞こえてきた。「おーいるぞー」と返事を返した。暗い廊下で待つのも限界だった俺はその声にとても安心した。「おー、お前さぁ、今こっち来た?」Aが突然そんなことを聞いてきたもんだから素っ頓狂な声で「ぅぇっ?」と言ってしまった。「え、い、いや行ってないよ?どした?」
「まじで?え?じゃあ今上からのぞいてきたん誰よ?」Aがそう言った途端、全身の血の気がサーっと引いていくのを感じた。それと同時にトイレのすぐ近くにある食堂の入口の扉の窓が一斉にガタガタガタ!!と音を立てて揺れ出した。俺はもうトイレの前でAを待つ余裕なんてなく、猛ダッシュで部屋に戻り布団にくるまった。
結局そのあとストンと寝てしまい、翌朝Aに散々罵倒されるハメになった。俺は昨日の夜のことが気になってAに詳しく聞いてみることにした。「あのさ、昨日誰かがのぞいてきたとか言ってたけど、なにがあったんだ?」
「ん?あぁ、いやさ、ホラ、うんこするときって自分の足元見るじゃん?その足元見る姿勢でうんこしてたら突然影ができてトイレの個室が暗くなったんだよね。ちょうど人型くらいに。そんでお前がのぞいてるのかと思って上見上げたんだけど誰もいなかったし。…なに?あれ実はお前だったの?笑」
そんな体験をしているのにあっけらかんとしている友達を尊敬すると共にあることに気付いた。人間がトイレの個室をのぞこうとするとせいぜい頭をぴょこっと出してのぞくのが限界だ。だが友達は「足元に影ができた」と言っていた。だとすると友達をのぞいていた「それ」は水平に横になって友達を見つめていたことになるわけだ…。水平に横になって無表情で友達のトイレをのぞく男を想像して俺はもう一度恐怖に震えた…。今となっては思い出話だが小学生当時の俺からすると死ぬほど怖い体験だった。やっぱり山は怖い。