人間、大抵5歳くらいまで、自分が生まれてきたときのことを記憶しているそうだ。しかし年を重ね、記憶の彼方に追いやられるらしい。年の離れた妹が4才の時に、「生まれてきたとき、どうだった?」と訊いたところ、「がんばってでてきたんだよ」と教えてくれたことがある。それは怖くないが、いまの私の意識にのぼる、最も古い記憶を話してみる。
私はまだことばを得ていない。両親と手をつなぎ、はしゃいで歩いている。愛情を感じている。マンションの廊下を3人で歩いている。世界はオレンジ色に光っている。夕方だろうか。頭上のドアノブがガチャリと鳴る。おおきなドアが開く。同時に私がかけ込む。玄関から廊下がはしり、リビングに通じている。私はリビングの突き当たりを見る。オレンジ色に輝く、とても懐かしい、暖かい、愛しいものが見える。嬉しくなる。言葉にならない暖かさがこみあげる。私はそれに飛びついた。とても懐かしく、うれしかった。そこで記憶は途絶える。
親は次のように語る。「おまえ、小さいとき、家に帰ってきたらョ、いきなり凄い勢いでかけ出して、 リビングからベランダにでる、玄関から突き当りの窓ガラスに飛びこんだんだよ。ガラスはメチャクチャに割れて、しこたま驚いたぞ。幸いカーテンがうまくオマエをくるんで、傷ひとつなかった。おまえ、ありゃ一体なんだったんだ?」私にもわからない。でも、そこには大切ななにかがあった。