若いカップルがドライブの帰りにある峠道で。日はとっぷりと暮れている。対向車もまばらで街灯もない。助手席の彼女は話し疲れたのか、フリース毛布にくるまって軽い寝息を立てている。運転している彼は、眠気を振り払うため車外の闇に目をこらしていた。峠も中盤にかかろうかというころ、彼は1台の白塗りのセダンが待避所に止まっていることに気がついた。思わず彼は車を減速した。こんな所に止まっている車は例外なく、ホテルに泊まる金のない恋人達の緊急のホテルがわりになっているからだ。リアウインドウを覗き見た瞬間、セダンのドアがいきなり開き、中から出てきた女の人と目が合ってしまった。彼は気まずかったので、車を急発進させその場を立ち去ろうとした。女が彼の車を見ている。バックミラーごしに強烈な視線を感じ、ふと見ると、なんと、女が走って彼の車を追って来るではないか!気まずさが恐ろしさに変わる。彼は車をスピードアップさせた。峠の細い道を彼の車は限界まで加速してゆく。しかし、とうてい人ではついて来れないような速度に女はついてくる。彼はブレーキランプに赤々と照らされた女の顔を見て戦慄した。
やまんばだ!やまんばだ!
幼い頃絵本で読んで以来、心の恐怖の頁に書き込まれていた映像がそこにあった。髪を振り乱して迫り来る、しわだらけの醜悪な鬼女の顔。彼は必死に謝りながら、アクセルを床まで踏み込んだ。
気がつくと彼はふもとのコンビニの駐車場にいた。助手席の彼女が目を覚ます。彼は彼女に今峠で起こったことの一部始終を話した。話を聞くうち次第に目が冴えてきたのか、彼女の表情が驚愕に変わる。彼は彼女に話すことで助かったという実感が沸き、それまでの緊張が一気にほぐれていくのが分かった。彼の話を聞き終えた彼女は、何か納得したように言った。
「私も…夢をみたの。あなたの車を必死で追いかける夢を…あなた、峠の真ん中で、私を置き去りにして行っちゃうのよ。いくら呼んでも叫んでも待ってくれないし。その時本当に、一瞬だけ『ころしてやる!』って思ったわ」