自分の家には、呪いと言うよりは加護みたいなものがあるらしい。その内容は、何故か取引相手や仕事仲間が事故に遭わなくなったり、病気が治ったり出世したり、良縁に恵まれたりするというもの。まあ、当初は自分もそんな話は全然信じていなかった。でも大量のお礼の手紙が届いたり、わざわざ海外から仕事を頼みに来る人が来たり、大企業の社長さんなどが頭を下げてまで仕事の依頼を持って来るので、少しは信じるようになった。
ちなみに、親父の仕事は建設関連の中小企業の社長。この呪いじみた加護のせいで、うちの一族は各地を流転する羽目になったらしいんだ。一族で文字を書けるようになった人が出たのは今から200年くらい前だから、この話は口伝で伝えられていて、正確な年代と場所が判らないんだけど。
昔々、あるところに与作という村人が居た。与作が何時ものように野良仕事をしに行くと、金色の毛並みを持ち、尾が六本もある狐が瀕死の状態だった。可哀想に思った与作は、狐を連れて帰り治療をしてやった。与作の懸命な治療の甲斐あって、狐は元気になった。元気になった狐を、与作は森に放してやった。
それから五年後のある夜、与作の元に凄い美人が訪ねて来た。どうやら話によると五年前の狐らしく、恩返しの為に来たらしい。いくら与作でも信じられなかったが、目の前で狐の姿に戻られたのでは信じざるを得なかった。狐は「どんな願いでも叶えてやる」と言った。しかし与作には望むような願いなど無かった。ただ、もし願うのならば皆が平穏で幸せな日々を送る事だけだった。その旨を狐に伝えると、狐は呆れた顔で「お前は馬鹿か? 自身への恩賞で何故他者の幸福を望む?」と言った。与作は「だって、皆が幸せならおらだって幸せだもの」と返した。
狐は「それはお前が贅沢を知らないのと、お人好しだからだ」と返し、続けてため息を付きながら、「仕方が無い、お前が本当の願いを見つけるまで、お前を守ってやる。食い扶持の事なら安心しろ。お前を養うくらいは簡単な事だ。だから心配せずに、何を願うのかゆっくり考えると良い」こうして狐は、与作の家に居着いた。
それから幾日か経った時の事、狐が「贅沢を教えてやる」と言い、与作を大きな町に連れて行った。そして与作は、大きな屋敷の中に通された。中には与作が見た事のないような豪華な食事や、多数の美女が用意されていた。与作は萎縮してしまい、料理にも女性にも手を出せない。そんな与作を見た狐は料理を皿に盛って、与作に箸渡しで食べさせた。料理の美味しさに感激した与作は、貪る様に料理を食べた。やがて満足した与作は、狐にお礼を言った。
狐は上機嫌で、「満足したのならばそれで良い。ところで与作、これ以上の食事を毎日食べたくはないか。それくらいなら簡単に叶えてやれるが?」与作は、「それは勘弁だ。偶にだから良いんだから。ところで、残った料理を持って帰って良いか? 村の皆にも食べさせてあげたいだ」すると狐は怒って「あいつらは恩を仇で返すような連中だ。だから駄目だ」与作は驚いて「そんな事はないと思うけどなあ?」と返した。
狐は諭すように、「良いか与作。殆どの人間は、恩を仇で返すような連中だ。お前達に対して威張ってるような連中も、その上で君臨してる連中も皆そうだ。普通の人間というのは、人の弱みに付け込んで、自分だけ旨い汁を吸おうとするんだ。お前みたいな馬鹿なお人好しは初めて見るが、そんなお前が長生き出来るとは思えん」そう言うと狐は、与作を連れて家へと帰った。
その後もこんな感じの事を狐は何度もやったが、基本的に与作の対応は変わらなかった。ある夜、狐は言った。「今でも、お前には望みは無いのか?」与作はこう返した。「うーん、今でもやっぱり皆幸せなのがいいだ。でも、もう一つ欲しい物が出来ただ」狐は破顔すると、「そうかそうか、お前にもやっと人並みの欲望が出てきたか。それで欲しい物とは何だ?」与作は照れながら、「狐が欲しいだ……」
狐はきょとんとして、「え……わたし。なんだ美女が欲しいのか? だったら私以上の美女をお前にやろう」与作は真面目な顔で、「違うだ。おらはお前が欲しいんだ」狐は完全に顔を真っ赤にして、「お前が人をからかう事を覚えるなんてな。少しは人が悪くなったようだな」与作は「おらは本気だ」と返した。狐は泣きそうな顔で、「どうして私なんだ? 私の何が好きになったんだ?」与作は、「何をと言われても困るだ。狐の綺麗な髪も肌も目も好きだし、時折の仕草も好きだし、狐の優しいところとかも大好きだ」
狐は泣きながら、「下手な口説き文句だな。でも真心込めて口説かれたのは初めてだ。とても嬉しい。でもその願いは叶えられない」与作は「どうしてだ」と問うた。狐は、「だって、私だってお前と一緒に居たい。お前の傍だと、今まで感じた事のないくらいに優しい気持ちになれるんだ。お前の為に何かをしたいと自然と思える。でもそれは卑怯だ。どう考えたところで、お前がくれた物と私とでは釣り合わない。そもそもそれでは恩返しにならない」
与作は言った。「おらが狐が大好きなのは変わらない。狐もおらが好きなら夫婦になろう。そうすればおらはとても幸せだ」狐は「わかった。夫婦になろう。でもそれはお前の願いだからじゃない。私の望みだからだ」与作は笑って「うん、これからもよろしくな、狐」と答えた。
それから幾つかの年月が過ぎた後に、与作と狐の間に待望の男の子が生まれた。与作と狐は、その子供に真作と名付けた。二人は幸せの絶頂だった。しかし、そんな彼等を憎憎しげに見つめる者が居た。それは一人の娘だった。娘は昔から与作の良さを知っていた。ただ恥ずかしくてその想いを伝えられなかったのである。そして気が付けば与作の横には何時も狐が居て、二人の関係は強固になっていた。最初は想いを堪えていた娘も、やがては激しい憎悪に屈してしまった。
娘は狐から与作を取り戻すべく計画を立てた。まずは協力者を探す事。これは簡単だった。何故ならば、狐に欲情している上に、恨んでいる男を知っていたからだ。その男とは、村長の所の長男だった。長男は妻が居ながら好色で暴力的で、怪力以外の美点が無いような男だった。長男は以前、狐に夜這いしたが返り討ちに遭い、それ以来復讐の機会を探っていた。娘は長男を言葉巧みに説得し、自身の計画に参加する事を承諾させた。まずはこの娘と長男は、与作と狐の弱味を握る為に情報を集めた。その結果、狐は満月の夜だけは人の姿を保てずに狐に戻る事を知った。
狐が妖怪の類だと知った二人は、狐の弱点を調べた。その結果、妖怪は基本的に鉄に弱い事や、満月の時に力を発揮する者は基本的に新月の時には力の大半を封じられる事が判った。ここまで判った二人は狐を嵌める為に、与作が野良仕事中に熊に襲われたという嘘で、狐を人気の無い所までおびき寄せた。何時もの狐なら嘘を見破れただろうが、与作の危機と聞いて冷静では居られなくなり、罠に嵌められたらしい。
結局、狐は鉄の輪を填められ、男に村長の家の蔵の中に幽閉された。与作は突然行方不明になった狐を何ヶ月も捜索したが、見つかったのは前に与作が狐にあげたお守りだけだった。そして狐を嵌めた娘も、必死に捜索に協力をしているように見せかけた。
その内、狐の生存が絶望視され、与作はまともに食事が喉を通らなくなり、ついに倒れたらしい。娘は必死に看病し、その折に与作と狐の子とも仲良くなったらしい。娘はその後、数年間かけて狐を失い傷心状態になった与作の心に付け込み、そして与作の子と仲良くなる事で、ついに婚約の約束を取り付けた。喜んだ娘は、蔵に閉じ込められた狐にその事を告げた。狐はついに、自分を嵌めた者達のへの復習を計画する。
まず最初に、自分に惚れ抜いてる男に媚を売り、満月の夜に鉄の輪を外させた。そして輪を外した男を殺して喰らい、力を回復させた。やがて娘と与作の結婚式の時に狐の姿で乗り込み、娘を惨殺し、ついでに共犯者の長男も惨殺した。与作は、狐が生きてた事と、いきなりの凶行に驚愕した。狐は正気に戻ると、凄い速度で森に逃げて行った。
その後、幾度も山狩りが行われたが、その度に多数の犠牲者を出した。やがてその噂を聞いた数多くの腕自慢が各地から集まり山狩りに参加したが、結果的には変わらなかった。ちなみにこの頃の与作は、事の顛末を村長から土下座されながら聞かされた事と、真作が狐に激しい憎悪を持っている事に苦悩していた。
山狩りが行われなくなった後、近隣の村々で神隠しが多発。それが狐のやった事だと気が付いた与作はついに覚悟を決め、村長から槍を貰い狐退治に向かった。狐は人の姿で与作を出迎えた。狐は微笑を浮かべて、「やっとその気になってくれたか。待ってたんだぞ、お前が私を殺しに来る事を」
与作は苦しげに、「もうこんな事はやめてくれだ!おらに出来る償いなら何でもする!だから……」狐は悲しげに、「お前に出来る償いなんて無いし、償う必要も無い。私とあの娘が一番悪いのだから」与作は顔を上げ、「なら一緒に帰ろう。そして一緒に皆に謝ろう。皆が許してくれなかったら、真作も連れて一緒にどこかへ逃げよう」狐は首を振り、「無理だな。自分が一番悪いと解っていても、お前や村人や人間への憎悪は消えないんだ」と言った。
そして狐は、牛の何倍も大きな狐の姿に変わって、「お前を殺せば、この気持ちが消えるのかどうか分からない。試すのも怖かった。だがお前と私が剥き出しでぶつかり合えば、この不快な気持ちも消えるかもしれない。さあ立ち上がれ与作!!お前が私を殺さないと言うのなら、手始めに真作を含めた近隣の村の連中を皆殺しにするぞ!!」与作は槍を強く握り、「狐……それがおめえの望みなら……行くぞ!!」狐へ向かい駆け出した。
狐と与作の戦いは激しく、周囲の木々は狐の尾に砕かれ、その音は周囲の村々に響いたという。与作は何度も打ちのめされたが、その度に立ち上がり狐を槍で突き刺した。そしてついに与作の槍は狐に致命打を与え、狐は崩れ落ちた。狐は嬉しそうに「強かったよ……与作。さあとどめを刺しておくれ」与作は「もういいだろ……狐、おめえは最初からおらを殺す気無かったんだろう?」と言った。狐は首を振り「いや本気だったさ。ただ無意識に手加減をしていたらしい」と答えた。「そう言えば、狐と本気で喧嘩したのは初めてだったな」
狐は微笑を浮かべ「そう言えば、そうだな。お前に嫌われるのが怖くて、無意識に媚びてたのかもな。幸せ過ぎて気が付かなかったけど」与作は笑いながら「それは良かっただ。狐と本気で喧嘩したら、おらが勝てる訳無いしな」狐は「おいおい、私は本気だったんだぞ」与作と狐は互いを見つめ、笑い合っていた。それは二人とも、とても良い笑顔だったらしい。
笑い終わると、狐は自分の尾を一つ食いちぎり与作に投げた。与作は驚いて「狐、何馬鹿な事をしているだ!」狐は「馬鹿な事じゃない。尾の一つも無ければ、私が死んだ証にならんだろう?」と言った。与作は薬を取り出して狐に塗りながら「馬鹿を言うな!一緒に帰ろう」狐は悲しげに首を振り、「私は罪を償わなければいけない。それは、狐としての生を捨て神になる事だ。そして神になって、お前と真作、気に入らないが村の連中達の係累を守護する事だ」
与作は鼻水を流しながら号泣し、「訳が解らないだ、狐。おらはもうお前と離れたくないだああ!!」狐は泣きながら、「ごめんね、与作。でもね、それが私達一族に伝わる掟なの」与作と狐は互いに抱き合い泣きあった。狐は最後に与作に問うた。「与作、お前の願いはなんだ」与作は一番の願いは叶えられないと気が付いていた。だから答えた。「狐と真作と、娘と長男と死んで行った皆と、それ以外の皆の幸せだ」狐は懐かしげに笑うと、「欲張りな望みだな。しかしお前らしい。良かろう、その願い叶えよう」そう言って狐は姿を消した。
その後、与作は狐と娘、それ以外の死んで行った者達の供養の為に出家した。真作は村長の家の養子になり、次代の村長となった。与作は死ぬ前に、真作に狐との出会いから始まる事件の顛末を伝えたという。
尚、狐の尾と槍は幾度も他人の手に渡ったが、何故かうちの家系の誰かの手に戻って来るらしい。ちゃんと実家に両方ともあるが、狐の尾は純金のような金色で、触り心地は普通に動物の尾のように思える。まあ、作り物だと思うんだが。槍の方は、千年くらい前の良品らしい。
以上でばあちゃんから聞いた与作と狐の話は終わり。まあ真偽の程は不明だが、これがうちの家に伝わるお話だな。これ以降も子孫達の話は続いて行くけど、その中で狐らしき存在も度々出てきたりする。