子供のころ、時々遊びに行っていた神社があった。自宅から1キロほどの山のふもとにある、小さな神社だった。神社は大抵人気がなく、実に静かだった。神社の横が小さな林になっていたのだが、その林の木のつるが上手い具合にたれ下がっていて、ブランコみたいになってるところがあった。木のつるだからゆれる幅も狭いが、自然にできたブランコという漫画みたいな場所は、子供心にも面白さを感じる。近所の子供はそれのために、時々神社に足を向けていた。
ある日、その場所に一人で出かけた。一人だった理由はもう思い出せない。多分、遊びに誘った子達が皆出かけていたか、何かだったのだろう。神社の境内はいつも通り、手入れはされていたがひとけはなかった。横の林に入り、つるのブランコに向かおうとしたとき、妙なものが目に入った。人の顔。妙に白い人の顔が、ブランコの少し手前にあった。プールで仰向けになり、顔の部分だけ水面上に出している様子を思い浮かべて欲しい。丁度そんな感じで、顔だけが仰向けに地面の上にあったのだ。
私は足を止め、その顔を眺めた。お面だろうか?しかし作り物には思えなかった。結構整った顔立ちだったと思う。女なら美人だといってもいいくらいに。その目はまっすぐ天を見つめている。近づいて確かめたいという気持ちと、逃げたいという気持ちが拮抗して、私は動けなくなった。しかし、私はすぐに脱兎のごとく逃げ出した。目が不意にきょろっと動いて、私を見つめたからだ。私はそれ以来、そこには行かなくなった。
物理的に誰かが本当に埋まっていた、というのは考えにくい。地面は木の根が這い回っていて、非常に掘りにくいはず。(自宅の庭の一部が似たような状態になっていて、車庫を作るときに掘り返した)本気でやるなら、数人がかりで掘って、体を埋める必要がある。しかし何のため?何かの撮影なら、小さな田舎町のこと、噂にならないはずがない。いたずらや覗きなら、あまりに割に合わない。一日待って誰も来ないこともありうるのだから。
しかし、何よりあの顔だ。そこには苦労して埋まって、我慢して何かを待っている様子は全く感じられなかった。ただ静かに天を眺めていた、不気味にきれいな顔。あれは埋まったのではなく、地面の下からぷかりと浮かんだのだしか思えなかった。数年前、約20年ぶりにそこを訪れた。木のつるブランコは垂れ下がって地面に達してしまい、もはやブランコではなくなっていた。