【守り鏡】戦後の闇市を生き抜いたおじいちゃんの戦い

かなり変な話なんだが書いてみる。2年前に84歳で死んだうちのジイちゃんなんだが、戦後の闇市を生き抜いてきた世代で、背中には見事な不動明王の入れ墨があった。まあこれは本題には関係ない。このジイちゃんが死ぬ3年ほど前から半ボケ状態になって、自室で寝たきりで過ごすことが多くなった。暴れたり徘徊するわけではないし、トイレには自分で起きてくるのでそんなに手はかからない、食事の世話は俺の嫁がやっていたが、食はどんどん細くなっていったな。それがある朝、家族がキッチンで朝食をとっているところに、背筋をのばして大股で歩いてきて、突然「鏡を買ってきてくれ」と言い出した。「ジイちゃん、鏡は部屋に掛けるのか。なんなら鏡台を持っていこうか」と聞くと。首を振って「庭にすえる」って言う。続けて、「俺はもう長くないから、あれが入ってこようとしている。ひっ返させねばならん」こんな話になってらちがあかない。
「あれって何だい?何が来るって?」 
「・・・・」
「鏡くらい いいけど。どんくらいの大きさ?」
ジイちゃんは少し考えた後、手で50cm四方くらいを示したんだ。でまあ、それでジイちゃんの気が済むのならいいかと思って、その日の仕事帰りにホームセンターで壁に掛ける用の鏡を買ってきた。

そしたらジイちゃんは、包装をといた鏡を両手で抱えて外に出ようとした。これは外はもう暗いし転んでもしたら大変だと思って、俺が鏡を持ってジイちゃんといっしょに外に出たんだよ。うちは田舎なんで庭はけっこう広い。門から数メートル敷石が続いていて、いろいろ庭木が植えてある。ジイちゃんはその敷石から外れた、ちょうど1階のベランダの前に来て、「ここに鏡を立てろ」って言う。そんなことをしたら庭の景観が台なしになってしまうが、あまりにしつこく訴えるので、土を少し掘り、ゴロタ石を支えにしてその場所に鏡を立てかけたんだよ。
これをやり終えると、ジイちゃんは鏡の前に出て映った自分の姿を矯めつ眇めつ見ていたが、にっこり笑って家に入っていったんだよ。それから、夕方ころにジイちゃんは鏡をボロ布で磨くようになった。鏡は雨ざらしだから、どうしても雨滴などで曇ってしまう。それを拭いてたんだな。それである日、ジイちゃんは家の中に入ってくるなり、「あれだけではダメだ、常夜灯を買ってきてくれ」とさらに要求を出した。よくよく話を聴いてみると、鏡の近くにスポットライトのようなのを設置して、夜の暗い中でも、鏡に映った姿を見られるようにしたいってことらしかった。何がなんだか皆目わからないが、どうせついでだと思ってそれもジイちゃんの言うとおりにしたんだよ。でもまあ、鏡も常夜灯もずっとあるだけで、特別変わったことはないと思ってた。そのうちにジイちゃんの容態が悪くなって、市内の大学病院に入院した。

死ぬ前はかなり意識が朦朧としてたんだが、いよいよ臨終というときに、酸素マスクを自分で外して、「あの鏡、俺の四十九日が終わるまで片づけるなよ」みたいなことを言ったんだよ。それでジイちゃんの葬式が終わって四十九日も過ぎて、さて鏡を片づけようかとしたときに、嫁が変なことを言い出した。「あの鏡、ほんとうに片づけても大丈夫かしら」って。
「えー何で?」
 「私、こないだ10時ころに外に出たときに見ちゃったのよ」
「何を?」
 「うずくまったままの状態であの鏡の前まで歩いてきた女がいたのよ」
「どんな女?」
「それが全体的に薄汚れてボロボロの服を着た若い女で、頭にはスカーフをかぶってた。その女が鏡を覗き込むと。ヒッという声を出してパッと消えたの」
「どういうこと?」
「あの鏡がその女を追い返したんじゃないかと思う。おじいちゃんは何か知ってたんじゃないかしら」

まあこんなことがあって、鏡はしばらくそのままにしておいて、こないだやっと撤去したんだよ。後日談は何も無く、その女の正体を調べようと古いアルバムとか引っ張り出してもジイちゃんの若い頃の写真なんて1枚もないんだ 親戚も知らないって言うし、ジイちゃんは男だけの3人兄弟でその人たちもみんな死んでるし。嫁が言うには、庭に来た女は笠置シヅ子とかの終戦直後の服装みたいだったらしい。

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