後輩の話。彼は高校生の頃、自転車で通学していたのだが、ある時この自転車が盗まれてしまった。まだ新しい物だったので、大変に悔しく残念に思ったそうだ。その内新しい車両を買い直すつもりで、しばらくは母君の自転車で通っていたのだが、一週間もしないで警察から連絡があった。彼の自転車が放置してあるのが見つかったという。「新車を慌てて買わなくて良かった」と喜びながら、電車で一駅離れた町の交番まで引き取りに行くことにした。
翌日、交番を訪れ名前を告げると、初老の警官が自転車を持って来てくれた。目を疑った。記憶にある姿と異なり、自転車は酷く傷んでいたのだ。色々な所が真っ赤に錆び付いていて、スポークも何本か朽ちて折れている。ブレーキは何年も油を差していないかのように、ガチガチに固くなって動かない。ゴムタイヤは前輪、後輪とも、カラカラにひび割れて裂けている。「これ僕のチャリンコじゃないですよ」と文句を言おうとしたが、よくよく見るとそこここに見覚えのある特徴が発見できた。
唖然としながら尚も詳しく見てみると錆びた防犯登録証の下に、間違いなく自分の名前が書いてあるのが確認できたという。「……何でたった数日でこんなにボロボロに……」彼が呆れてそう言うと、警察官は残念そうな顔で教えてくれた。
「見つかったのがクチタヤマだからなぁ、運が悪かった」
引き取り書にサインした後、お茶を出してくれた警官は詳しい話をしてくれた。
「こいつが乗り捨ててあったのは、地元じゃクチタヤマって呼ばれてる山の麓でね。その山に捨て置かれた物はどうしてか、凄い早さで古くなってしまうんだ。物が朽ちるからクチタヤマ。名前の由来はそんなところだろう。年に一回は山の清掃作業があるんだが、出てくるゴミが決まってもう、何というかボロボロになり過ぎていてね、元の姿さえ想像できないよ」
「迷惑な場所ですね、それじゃ何にも利用できない」と彼が感想を漏らすと、「過去には、美術品の偽物造りに利用されたことがあるらしいよ。古物専門の贋作師だったらしいんだが、新しい茶器なんかをあの山に埋めておくと、短期で良い感じに古びるんだとさ。まぁこれも犯罪に利用されたんだから、迷惑なことに代わりはないけどね」
苦笑しながらそう教えてくれたそうだ。結局、直せる所は直してから、その自転車に乗り続けたという。
「僕が高校を卒業して、自転車に乗らなくなった頃、前輪の車軸が折れましてね。そこでやっと廃棄にしました。何と言いますか、僕が乗る間だけ必死に耐えてくれたような感じがしまして。愛着がかなり湧いてましたし、処分する時はちょっと寂しかったですよ」
現在、彼の机には、ピカピカに磨かれた自転車のベルが置かれている。あの自転車に付いていた品なのだそうだ。