小学校低学年の頃の話です。その頃の私はいわゆる鍵っ子で、家に帰っても誰もいない寂しさから、いつも夕方遅くなるまで学校に居残って遊んでいました。たいていは友達といっしょに運動場でボール遊びをしたりしていましたが、4時半くらいを過ぎると友達はみんな帰ってしまいます。運動場に誰もいなくなると、私は一通りの遊具を遊んでから帰ることにしていました。鉄棒、ブランコ、うんてい、のぼり棒。そして最後がすべり台でした。
そのすべり台はちょっと変わった形をしていました。ハシゴを上りきったところからV字に分かれて、すべり台が2本ついていたのです。まるで鼻が2本あるゾウのようです。2人の子供が同時にすべるように作られたはずですが、実際にすべることができたのは、左のすべり台だけでした。右のすべり台はベニヤ板でふさがれ「たちいりきんし」の紙が貼られていました。
先生の話によると「すべり台にトゲがあって、ケガをした子がいるから」とのことでした。けれど「してはいけない」といわれると、やってみたくなるのが子供です。
夕暮れ時、みんな家に帰ってしまって、運動場には私ひとり。今なら誰も見ていません。私は好奇心をおさえられませんでした。ドキドキしながらベニヤ板をのり越え、「たちいりきんし」のすべり台をすべっていきました。すべり台ですから一瞬で下に着くはずです。なのに、なんだかいつもより長いような気がしました。
「あれ?」
と違和感を感じた次の瞬間、すべり台の脇から、大きな赤い顔がでてきて
「ぐあああああ!」
ものすごい声をあげて襲いかかってきたのです。何が起こったのか、正直ワケがわかりませんでした。ただとにかくびっくりして、地面に着くと走ってすべり台から離れました。
赤い顔はすべり台の脇にいて、ちょうど大人の顔の高さにありました。だけど大人の顔よりずっと大きくて、人間の顔ではありませんでした。赤くて大きい、今思えば獅子舞の獅子のようなナマハゲのような…とにかく鬼のお面のような、そんな感じだったと思います。
誰かが私をびっくりさせようとして、オバケのお面をかぶって出てきたのかと思って足元を見てみました。だけどどうみても、その赤い首の化け物は宙にふわふわ浮いていました。そして次の瞬間、その化け物は私を追ってきました。ふわふわ浮かんで上から追ってくるのです。私は怖くて走って逃げました。後ろからは「ぐあぐあ」という声が聞こえてきます。
「先生!先生!」
と呼びながら校舎にむかって走り、職員室に助けを求めようとしました。ところが不思議なことに校舎には鍵がかかっていて、入ることもできません。校門も閉まっていました。校舎をぐるっと逃げ回る間も、ぐあぐあ言う化け物はゆっくりですが、確実に私を追ってきます。赤い口はばくばく開いて、よだれをたらしています。
私は泣きわめいているのに誰も助けてくれません。というか、私とその化け物以外に人の気配がないのです。そして校舎に入ることも校外に出ることもできません。どうしようもない事態に、私はこのまま化け物に食べられてしまうんだ…と考え始めました。走って走って、汗と涙でぐちょぐちょになりながら、私はもとの運動場に帰ってきました。そして、あのすべり台に上りました。なんとなくですが、またそのすべり台をすべれば元に戻るのかと思い、さっきとは逆の、左側のすべり台をすべり落ちました。立ち入り禁止じゃないほうのすべり台です。
すべり台をおりると、何かが変わった気がしました。重苦しい空気に流れが出たというか…不思議な感じがしました。振り返ると、赤い化け物はいなくなっていました。校舎にはちゃんと入れて、職員室には先生もいて、校門も開いていました。そしてその後、さらに不思議な事が起こりました。なんと2つついていたはずのすべり台が、1つになっていたのです。
私は友人にも先生にも「あのすべり台って2つあったよね?」と確認したのですが、皆口を揃えて最初から1つだったと言うのです。確かに誰がどう見ても、すべり台は一つしかすべり落ちる所がありません。ですが、私の記憶では間違いなく2つありましたし、友人と遊んで「たちいりきんし」の紙や板も確認した記憶があります。先生もそのすべり台のたいちりきんしについて、説明していたはずです。そして何より、あの赤い顔との恐怖体験は、今でも鮮明に記憶しています。なのに私以外、誰もすべり台が2つあったことを知らないのです…。
この記憶や体験が何だったのか今でもわかりませんし、自分の思い違いだったと深く考えないようにしています。ですがこれが私の幼い頃の一番怖い思い出です。