会社の先輩から聞いた話。彼がさる田舎の町へ出張に行った時、仕事が早く済んだので飲みに繰り出したそうだ。2軒ほどハシゴしてほろ酔い気分になった彼は、酔い覚ましにぶらぶらと散歩を始めた。小さな町なので、中心部を少し外れると建物もまばらになり、明かりといえば、ぽつぽつと灯っている街灯と月明かりだけになった。しかし、普段都会で仕事をしている彼にとってはこうゆう雰囲気も悪くなく、気持ちよく散歩を続けたそうだ。
あても無く歩き回っていると、前方に明かりが見えてきた。どうやら居酒屋のようだ。「こんな辺鄙なところに飲み屋があるのか。酔いもさめてきたし、もう一杯いくか。」と、彼は店に向かって歩き出した。しかし、店に近づくにつれ、なんともいえない妙な気分になってきたという。店の中では何人かの人影が動いているのが見え、その中には子供もいるようだ。だが、なんというか活気というものがまるで感じられず、近づけば近づくほど重苦しい気分になってくる。結局、酒好きの彼には珍しく、その店の手前で引き返し、そのまま宿泊先のホテルに帰ったそうだ。
翌日、彼は次の仕事先へ向かうため、タクシーでホテルを後にした。そのタクシーが、偶然彼の昨日の散歩コースを通ったそうだ。やがて、あの妙な店がある場所に差し掛かったとき、彼は自分の目を疑った。そこには居酒屋など影も形も無かったのだ。彼は思わず運転手に「ねえ、そこに居酒屋があったと思ったんだけど?」と聞いた。すると、「ああ、半年くらい前まではあったんだけど火事で焼けちゃったよ」。運転手の話によると、その居酒屋は中年の夫婦が経営していたが、この不景気に加えて、さらに質の悪い業者に引っ掛かり、生活は相当苦しかったそうだ。それで思い余った夫が店に火を放ち、妻と子を道ずれに心中したそうだ。「子供はまだ小学生だったんだよ。かわいそうだよねえ」と運転手はため息混じりに呟いたが、彼はとても同情できる気分では無かった。
すると、自分が昨夜見た店は何だったのだ?いや、もしあのまま店に入っていたら・・・結局彼は、「酔っ払って幻覚でも見たのだろう」と無理やり思い込むことにしたそうだ。