怖さを求める退屈な若者と違い、遠出をすることで日々の発散をしようと考える労働者は社会に蔓莚している。車やバイクを差し向ける孤独な輩の行く先は何時だって山であり、開放的な海志向と違い、人間性が屈折している率は高い。自分もそんな嫌らしい一人だが、何時もバイクで行きたくても行けない山があった。
林道・川上牧丘線のピークは、勿論山の頂点ではなく峠だ。東京都内の青梅街道近くに住む私にとって、その大弛峠までの距離は日帰り往復が可能なものである。しかし、何故なのかこの峠を目指すとき、常に悪天候や様々なトラブルに阻まれて行き着く事が出来なかった。去年も、一昨年も、先一昨年も、いやもっと前から…。
2,000mを超す高地となると天候は常に流動変化する事は仕方ない。しかし年に何回も休日に出向いては、驟雨に泣かされ帰るのは不可解だ。去年から麓の金桜神社に手を合わせたが、山の神様が私を嫌うのか一向に山に登るタイミングがあわない。今年も日曜の休工日を狙い、出向いたついでに金桜神社に詣でたところ、大嫌いな青大将が拝殿の前に長々と横たわり、こちらを透かして見てる。その日もやはり悪天で、合羽の出番を待たずして帰った…。
しかし拒否されると諦めが悪くなるのも屈折した人間本来の習性である。三回まで出向いた今年、当々不満が爆発した。先週の日曜に四回目を決行したが、何としても登るつもりだった。すると柳平付近で案の定降雨がはじまり、やっと大弛峠に来たものの強い降りと厳しい寒気に襲われた。
「こりゃあ、本物だわ…」
遅巻きながら合羽を着込んで帰路に着こうとしたが、雲に入って全く視界が見えない。二度と此処には来ないと誓ったが、下りの道を徐行しながら走る内心は、腑に落ちない気持で一杯だった。山というものは、偏屈者には偏屈な対応をするものだろうか…。