屋久島の山には不思議なことが多い。10月になれば、山と山の間に太鼓の音がドン、ドン、ドン、とゆっくりと聞こえ、それが夜明けになると、ドンドンドンドン・・・と早く聞こえてくるといわれます。なぜかと言うに、10月は神無月(かんなづき)と言われ、全ての神様が出雲に出かけて留守になるので、天狗があばれるのだというのです。
山の峯にある松で、枝が密集しているのをよく見かけます。それは天狗が、毎月の一日、潮汲みに降りるとき、腰掛けて休む場所だそうです。そんな木を伐れば、たちまちたたりがくるといって、人々は伐りません。でも山師がどうしてもその木を切らねばならぬ時は、前の晩にヨキ(斧)を立てかけておいて、翌朝もそのまま立っていたら伐るのです。もし倒れていたら、ぜったいに伐りません。
深山に行くと、天気のよい日でも、とつぜん、ものすごい地響きがしたり、大木がバリバリバリバリーと倒れる音がしたりします。山じじいとか、山和郎(やまわろ)などといって、男の化け物も出るかと思えば、きれいな山姫や子どもみたいな妖怪が出ることもあるのです。
さて、ある年の秋。佐々木さんは、兄と一緒に、湯泊のずっと奥山の七子岳とエボシ岳の間に、猿ワナをしかけに行きました。日が暮れたので、ふたりは、アラケのミノオというところの岩屋に野宿をしました。夕食もすんでから、兄はさっさと休みましたが、佐々木さんは焚き火をして起きていました。すると、「オーイ」という声がしました。はっと思ってすぐ前に飛び出してみましたが、何もいません。しばらくしたら、また、「オーイ、オーイ」という声です。佐々木さんも、「オーイ、オーイ」と答えてみましたが、それっきりでした。
兄が目をさまして、「返事をすんな。決しておらぶな(叫ぶな)」と注意しました。
「あれは、なにか」
「なにかということは、山ではいわんもんじゃ。けっして、山であれに答えてはいかん」
「あれは、なにか」
佐々木さんが何度も聞くので、兄が小声でそっと教えてくれました。
「あれはな、山のオン助というもんじゃ」
それから、しばらくしたら、また入口で「オイ」と、こんどはさっきより大きい声でしたので、佐々木さんはびっくりしたひょうしに返事しました。すると、「キャー」と叫びました。しばらく静かでした。佐々木さんは立木を手にかまえて、待っていました。すると、「オイ。」
そこで、かたわらの燃え木を、声の方に、はっしと投げつけました。それっきり声がしないので、喜んでいたら、なんと今度は、頭上の岩壁をキーキーひっかくやら、大木がバリバリバリーと倒れる音がするやら、ガラガラガラ、ドターンと山くずれの音がするやら、たいへんなことになりました。とうとうその晩はふたりとも一睡もできませんでした。
ところが不思議なことに朝になったら、ウソのように静かになりました。その日、猿ワナの仕事の都合で、もう一晩そこに泊まったところが、前の晩よりもっと烈しく、あばれはじめました。佐々木さんは、たまりかねて鉄砲をダーンと打ち込んでみましたが、さっぱりききめがありません。夜があけると、すぐふたりは、そこをひきあげました。そして次の晩は、1キロ半ほど下の紅葉ガ田尾というところに休みました。そこは何事もなく無事でした。
山のオン助は、鳥でも、けだものでもありません。山の怪物の一種です。佐々木さんは、猟友会の席でこの話をしたら、多くの人が同じような体験をしたということでした。