子供のころ、蒜山や大山に毎年遊びに行き、山陰にまわって出雲大社に詣で、帰ってくるのがうちの習慣だった。うちはまあまあ裕福で、ペンションに泊まったり玉造温泉のいい部屋に泊まったり出来るのでそれなりに楽しみにしていた。んである年、大山のペンションに泊まり、次の朝虫採りをしようと試みた。親にも内緒で準備し、朝の大山に繰り出した。それまでも何度か虫取りをしたことがあるし、夏の晴れた朝の山はとても気持ちがいい。
でもその朝は微妙に雰囲気が違った。重い、と感じたことは覚えてる。普通はペンションの裏手の森あたりで済ませるのに、いい虫がいなくておれはどんどん奥まで入っていった。朝ごはんがほしいと思うこともなく、草ばかり掻き分けてほかの事はわからず、虫の声も聞こえず。ぼうっと歩いているうちに目の前に広場があらわれた。正直、夢じゃないかと今でも思ったりするのだが。
その広場には人がいて、いわゆる神主の服装で(なぜか烏帽子は被っていなかった)広場の真ん中あたりにぼうっと両手を下げて立っていた。片手に杓を持ち、もう片手には何かの草を持っていた。向こうを向いて立っているのでその人の表情はわからなかったが、この山には神社などなく神主さんなどいるはずがないということに気づき一気にぞっとした。
逃げるしかない、と思い、引き返そうとした。背丈ほどもあるような草をがさがさ掻き分けて(これもおかしいんだよな、今から考えると。行きで背丈ほどもある草なんて通らなかった)逃げようとしたところ、その人がくるっと振り向いた。それを見てぞっとした。だってその人、顔を向けているけど、目の焦点が明らかにあっていない感じだったから。気づかれた、と思って泣き叫びながら逃げ出した。
走りながら振り向くと、やっぱり追っかけてきてる。徐々に近づいてくる。口の端で笑っている気もする。漏れは子供のころからいつも持っていなさいといわれて首から提げてるお守りを見ながら必死で走った。いまだに恐怖だけは鮮烈に思い出すのだが。でも、どれだけ走ってもペンションにたどり着くどころか人家も道路も見えない。
怖くてわけが分からなくて、怖いものが大嫌いの漏れは嗚咽しながら走り、頭がふらふらしてきた。そして、しばらくして、先生に肩でも叩かれたかのように気軽な感じで漏れの肩に手が置かれ「だめだよお」と、妙に間延びした声が響くと同時に漏れは(多分泣きすぎて酸欠で)頭が痛くなってこけた。んでお約束のように気絶。次に起きたときは目の前に人がいて、ぎゃあと叫んだけどよく見たら親父だった。
おきてふらふらしている漏れに「何があった?」と聞き、正直に話したら平手一発。「お守りを見てみろ」といわれて見たらなんと緑色に染まってる。 「一人で行くからそういう目に会うんだ!」と散々叱られ、楽しみにしていたハイキングも何も取り止めで急遽どっかの神社に。神主さんに見てもらうと、その人も顔色を変えて漏れを拝殿に引っ張り、「一緒に拝みなさい」とひたすら正座で拝ませられた。そのときはもう嫌だというほど拝ませられたが、同時になんとなくわかった。山の中で見た人は、正邪はともかく「見ちゃいけない人」で、漏れは見たから「駄目」といわれ、お守りが漏れを守ってくれた、というわけだ。大山の神霊だったのか、それとも何だったのかはわからないけど。
親には具体的にいろいろ話したらしいが、怖いのと神主さんと家族に怒られたことでべそをかいてた漏れはよく知らん。
ただ、後年親が話してくれたことによれば
・漏れはもともとある程度霊媒体質らしく、幽霊が寄ってきたりそれが見えたりしてたらしい(漏れが意識してからは見たことない)
・親が漏れを見つけたのはペンションの裏手の森の入り口付近。ものすごく走った後のように土だらけで、帽子と網は近くにはなかったそうな。
・熟睡してた親父に「ねえ、お父さん森に行こうよ」と漏れが言ったことで親父は起きたんだが親父が寝ている間に勝手に森に出た漏れがそんなことを言うわけがない。起きても漏れがいなかったことに気づいた親父は漏れのベッドを見たが、いない、というので急遽探しに出た模様。最初は勝手に森に入りやがっただけ、だと思ってたらしい。
で、散々説教を食らった後、漏れは新しいお守りを持って「休憩室から出るな!」といわれ、両親は漏れの服と人形?となんかごちゃごちゃ(多分米とか塩とか)をもって神主さんと一緒に大山へ。拝んで怒りを鎮めてきたらしい。その後も出雲大社なんかでもわざわざお祓いをしてもらい今に至る。
ちなみにそれ以降、大山にも最初にお祓いを受けた神社にも虫取りにも一度も行かなかった。あと、親が言っていたのだが見つかったとき漏れの手には草と、丸い石が握られていたらしいが漏れは知らない。それも大山へ返したそうな。今にして思えば逃げられたというより、警告して逃がしてくれたような気がする。朝という時間は結構やばいらしいので、皆さんもお気をつけください。