【誰かいる】部屋で「だるまさんがころんだ」の声がした

親父の墓参りを済ませて、自分のアパートに帰ってきたのは夜の8時ごろだった。玄関を開けると、テレビが点けっぱなしになっているのが音と光で分かった。しまったな、と思いながら電気を点け、テレビを消す。部屋が無音になったとたん、背後に嫌な気配がし始めた。産毛をかすかに触れていくような意地の悪い感触だった。

ゆっくり振り返ると、部屋の隅に、壁に向かって立っている男がいた。何をするでもなく、ただ壁に向かって立ちつくしている。後ろ髪は肩よりも長く垂れ、身につけているのは小汚いタンクトップとトランクスだけだった。部屋から出なければ。しかし、部屋を出るには、男の横を通りすぎなければならない。近づくとこちらに何かしてくるのではないかと思うと、足がすくんで動けなくなった。手探りでカバンから携帯を取り出し、警察に通報しようとした。しかし、そこで私は固まった。男が少し向きを変えていた。音も出してはいけないのだ。

私は何人かの友人にメールを送り、助けを求めた。しかし、返事はどれだけ待っても来なかった。しばらく無音の硬直に耐えていると、突然「だるまさんがころんだ」男の方からかすれた声で聞こえた。そのとき、隣の部屋の住人が帰ってくる足音が聞こえた。いっそ大声で助けを呼ぼう。そう思った瞬間、男の向きがまた少し変わった。住人の足音に合わせて、ズズズ、ズズズと回転する。男の正面がいよいよ私に向いた。男の顔は垂れた前髪でほとんど隠れ、鼻先と口が露出している。ニタニタと笑いながら、男はさらに向きを変える。やがて男は動きを止めた。壁に向いていた。隣の部屋の方向だ。瞬間、男が「田宮さん!動いた!」と叫び、壁に溶け込むように走っていった。それきり、男は消えた。

翌日、昨夜の疲れもあり仕事を早めに切り上げて夕方帰宅すると、アパートに警察と救急が来ていた。なんとなく、予想ができた。隣の部屋の住人が死んだらしい。死亡推定時刻が昨晩の9時ごろで、何か知らないかと警察にたずねられた。さすがに男の話は信じてもらえない。私は特に何も、と答えておいた。警察は同様にアパート住人に聞き込みをすると引き上げていった。あの男は、私が墓参りから何か連れて来てしまったものなのだろうか。それとも、虫の知らせのようなものなのだろうか。警察が来て物事を淡々と処理している事実に触れ、何だか昨夜のことが不思議な出来事程度に思えてきた。

しかし、何も終わっていなかった。その日の夜、また男が出た。私が風呂から出ると、男はすでにいた。昨日と同じ部屋の隅に、同じ向きで立っていた。相変わらず、後ろ姿には不潔な雰囲気が漂う。音を立てないように慎重に服を着て、一人掛けの椅子に腰掛けた。男をしばらく観察した。だが、やはり昨日と何ら変わらない。恐怖心がすっかり麻痺してしまった私は、試しに物音を立ててみることにした。
イスの足を、かかとで軽く叩く。すると、男はズズズと回転する。動きはすぐに止まり、再び静寂になる。

なるほどこれならば、注意を払えば恐れることはなさそうだ。要は大きな音を出さなければいいのだ。
「だるまさんがころんだ」
アパートはすっかり、静かになった。

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