【山の掟】山に「味覚」を置いてきてしまった俺の話

山で遭難しかけた事がある。叔父と祖父の趣味が狩猟だったので当時中学生だった俺はよく山について行った。福島の某山に入ったときのことだ。

山に行くって言ってもハイキングじゃないんで、当然道らしい道なんて無い。地元山師しか通らないような道を歩いているうちにどっかでチャリ鍵を落としてしまった事に気付いた。祖父はかなり迷信深い人で
日頃から山での注意事項を散々聞かされていたんだが、その中に「山で無くし物をした時は探しちゃいけない」というのがあった。だが、俺としてはチャリ鍵がないと非常に困る。幸いまだ早朝で日も高かったので 「自動車に忘れもんをした」と嘘を吐き、かわいがっていた猟犬を一頭連れて来た道を戻り始めた。まぁ正直獣道に等しい山道でチャリ鍵を見つけるなんて無理な話。小一時間程山を降りたが当然鍵は見つからなかった。

猟犬を頼りに祖父たちの元へと戻って行くと、妙な事に気がついた。鳥の声や得体の知れない虫の鳴き声、山は昼夜問わず音に満ちてるもんだ。しかし、それらが一切聞こえない。無音なのだ。
「なにかおかしい…」
見ると猟犬は尻尾を股に挟み酷く怯えていた。

得体の知れない恐怖で俺はいっぱいいっぱいになった。一刻も早く祖父達と合流したかった俺は足を速めた。
ザザ…ザ…ざぁ…ざざざざざざざざざざざざざざざざざ
ざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざ
何かが俺の後を追いかけてくる音がする。薄情にも俺を抜きさり走り抜ける猟犬。とてもじゃないが走れるような道じゃないのに、藪を揺らす音はすごい勢いで近づいてくる。

ざざざざざざザザザザザザザッザ…
音が止んだと思ったら、先に行ってしまったはずの猟犬が戻ってきた。俺は走りだそうとした。追ってくる何者かが止まっている間に、少しでも離れたい一心だった。だがその瞬間、俺は確かに聞いた。
「… オ イ テ イ ケ …」
どこをどう走ったかもわからない。地図も磁石も無い。これが山でどれだけ絶望を感じさせるか。もう気持ちも肉体も恐怖も限界だった。周りは緑につぐ緑。振り向けば 「ソレ」 がいそうで 、怖くて止まることができなかった。

幸いにも10分ほど歩いたところでロープの張られた山道にでた。これで下山できると道を下る。そこで、道祖神を見つけた。何故か生魚(生きてた)が供えられており、俺は手ごろな枝で串刺しにし、もっていたジャンプを火種にして犬と半分ずつ魚を焼いて食べた。物凄く美味い魚だった。ほどなく林道に出た俺は、山菜取りにきてた地元民に送られ、無事叔父の車まで戻ることができた。祖父も叔父もめちゃくちゃ怒っていた。猟犬はうれしそうに尻尾を揺らしてた。獲物や荷物を積み込み、犬を車に乗せようとすると…一匹見当たらない…俺とが探し者に連れて行った犬がいない。
「ぎゃいーん!」
犬の声がした。猟銃を片手に声の方に走る祖父と叔父。少しして戻った祖父は犬を連れていなかった。
「死んどった」
簡単に埋葬してきたそうだ。俺は何も言えなかった 車中やけに皆無口だった。それ以来、祖父が漏れを山に連れて行ってくれることは無かった。俺も行きたいとも思わないが…。

そんな祖父も先日亡くなり、祖父をしのびつつ交わす酒の席。昔話に花が咲き、山の話から遭難事件まで話はおよんだ。叔父は言った
「あの時の犬はかわいそうな死に方だった。舌を噛み千切られるなんてマトモな死に方じゃない。あの時なんかあったんじゃないの?」
俺はあの時、あの山で何を置いてきてしまったんだろう?山のルールを破ったからなんだろうか。実は今の漏れには味覚という感覚がない。

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