自殺した友人が山で会った『赤いじいさん』の正体

これは遠い遠い昔のお話。もうかれこれ15年は経つ。俺は当時小学生3年。実家は田舎で家の裏手の方は山だった。

11月の初めごろだったと思う。俺は当時仲の良かった友達と裏山で遊んでた。一人が相手の宝物を隠して、持ち主の方がそれを探すっていう妙な遊びをしたのを覚えてる。俺は生贄として、爺ちゃんに買ってもらって大事にしてた百式のプラモデルを友達に渡し、友達は山の奥の方にどんどん進んでいった。

いつもなら10分くらいで隠し終えて帰ってくるはずなんだけど、友達は一向に帰ってこない。寒くて手の感覚がなくなってくるまで待ったが戻ってこなかった。俺は裏切られた気がして悲しくて、そのままトボトボと家に帰った。

家に帰ると晩御飯の時間で、その日は俺の好きなハンバーグだったがどうも美味しく感じなかった。腹は減ってるんだけど箸が進まない。爺ちゃんが「どうした?なんかあったのか?」と聞いてきたから「友達が一緒に遊んでたのに勝手に帰っちゃったんだ。」って答えた。爺ちゃん「なんかきっと理由があっただけだ。明日学校でまた会えるよ」みたいなことを言った。

その時、家に電話がかかってきた。友達のお袋からの電話で、息子がまだ帰ってきてないっていう。爺ちゃんは「最後に遊んだのはどこだ?」って聞いてきた。俺は「裏の山のおやしろから川の方に行ったあたり」って答えた。すると爺さんが急に立ちあがり、お袋に「探してくるから。役場の方にも電話しとけ」って言って出かけた。

近所の人も集まってきて駐在も来て、なにやら大騒ぎになった。裏山の入り口の方はちょっとした人だかりになって30分くらいだろうか。役場の人と駐在の準備ができていざ出陣!って頃に、爺さんが「みつけたぞーー」って叫びながら帰ってきた。

爺さんに抱きかかえられて帰ってきた友達は、暗くてわかりにくかったけど目のまわりが黒あざが出来ててひどい状態だった。泣きながら「赤いおじさんにやられた 赤いおじさんにやられた」なんてずっと喚いてて病院に入院した。

病院って言っても総合病院は車で1時間くらいかかる。あとでわかったことだけど、そいつの右腕は折れてた。大人はもちろん大騒ぎで珍しくパトカーが何台も出て付近捜索したみたいだけど結局、何もみつからなかった。

爺さんは俺に「もうじき冬だからな 春になるまで山遊びは駄目だぞ」とだけ言った。俺はあいつが言った赤いおじさんって言うのが怖くて怖くてその日からしばらく爺さんと一緒に寝た。もちろん百式も返ってこない。でも山に近寄るのもイヤだった。

高校生になった頃、ふと思い出してそいつに聞いたことがある。「あのときの赤いおじさんって覚えてるか?」って。「そんな昔のこと覚えてねーよー」なんてそいつは答えたけど。

俺が2歳ん時に死んだ親父の代わりに俺やお袋の面倒を見てくれてたその爺さんも中学にあがる頃死んだ。その友達は高校出て2ヵ月たったあと一人暮らし先のアパートで自殺した。理由はわからない。遺書も無かった。今日はそいつの七回忌だ。ふと思い出してね。書かずにはいられなかった。

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