ある夜の事、一人の少年が喉が渇いたので土間に下り、台所で水を飲んでいた。すると、開けっ放しにしていた出入り口の端から狸が頭を覗かせて彼をじっと見ているではないか。少年は狸が家の中に入って来るとまずいので、「こら!!」と一喝。すると、狸はゆっくりと頭を引っ込めて逃げて行った…と思ったのも束の間。その日はちょうど満月で、明かりを付けなくても全く問題が無い位明るい夜だったはずなのに、ほんの一瞬で少年は自分の手元すら見えない真っ暗闇の中に放り込まれてしまったのである。
それも、困った事に自分の部屋に戻ろうとして手探りしながら歩き出しても、平坦などこかを進み続けるばかりで一向に部屋どころか家の中に居るのかすら分からない始末。
「こりゃあいかん…どうも、狸に化かされたみたいだ。これ以上無理に動き回らない方が良いな…」
少年は腹をくくり、相変わらず真っ暗な視界の中、どことも分からない場所にごろりと横たわって寝てしまった。
さて、それから何時間過ぎたのか。少年はふいに眩しさを感じて目を覚まし、身体を起こして驚いた。そこは、山の中腹に作られた狭い畑のど真ん中。少年の家から行こうとすると、かなり急な道を下らなければ辿り着けない場所であり、そこから更に下っていたら石垣から落ちて大けがをしていた所だった。
「諦めて寝て正解だったなぁ。ま、晴れた日で良かったわ」
少年は自分を化かした狸を恨むでもなく、良く寝たと思いながら家に帰った。
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少年=父から酒のつまみ代わりにと聞いた話です。この頃、日本昔話よろしく風呂だと思ってこえだめに浸かったり、酒を飲んでいた訳でも無いのに崖から落ちてけがをする人が多かったそうで、そういう事が起こる度に「狸に化かされた」と人々は普通に受け止めていたと言う事です。私も子供の時、田舎で山の木々の上を列を成して進むたくさんの狐火を見たりしましたが、両親や親戚達は笑いすら浮かべてのんびりとそれを見送っていました。