友達Aに聞いた話。
Aはド田舎の病院で雑用をしているんだが、ある日病院に見知らぬおばさんがやって来たそうだ。田舎なんで、顔見知りでない患者さんが来ることなんてまずないらしい。で、医者が診察しようとすると、とにかく言動がおかしい。あなたは娘の目玉を取っただろうとか、あなたの足は濡れています、とか、支離滅裂な事を言う。
で、何が言いたいかよく分からないんだが、どうやらその医者に文句を言いたいらしい。それで、もてあました医者がAに相手をするように押し付けたそうだ。まあ、追い出しても良かったんだが、あやしい事に首を突っ込むのが好きなAは、とりあえずおばさんの話を聞くことにした。Aは別室に案内しお茶を出したそうだが、おばさんは腰を曲げて湯のみまで鼻を近づけ、くんくんと臭いをかぐとプイとそっぽを向いて顔をしかめた。そしてやたらと両手で鼻のあたりを拭うような仕草をする。それきり口をつけようともしない。
もうそのあたりで物好きなAのツボにはまったらしい。で、話を聞き始めたんだが、もう本当に何を言っているのかさっぱり分からない。5秒もせずに話題が次々に変わる。どうも自分の娘が医者のせいで被害を受けた、と言いたいのだろうかということだけかろうじて伝わったそうだ。しかし、この前河原を通ったらフナが落ちていたとか、さっきの看護婦は犬の臭いがするとか、ほとんどは意味不明の話だった。
Aは段々おかしくなってきて、つい吹き出して笑ってしまった。
すると、おばさんはキッとAを睨み付け、ひじをちょっと曲げたまま両手を前に突き出し、空中を引っ掻くような素振りを見せ、そのまま走って帰っていった。
Aはしばらく笑い転げていたらしい。さて、その日の仕事を終え、家へと帰る道を車を運転して通っていると、竹やぶの中を通る道に差し掛かった。すると右手のやぶの奥で、チラチラ光るものが見える。Aは火でも燃えているのかと心配になって、車を道に止め、やぶに分け入った。山火事になると大変だからだ。
まだわずかに日が残っていたため、薄っすらとだが足元は見える。
しばらく光の方へ進むと、どうも火が燃えているのではないようだと分かったが、今度は光が何なのかが純粋に気になった。
ふと気がつくと、あたりはもう真っ暗。目指していた光もどこへ消えたか、全然見当たらなくなっていた。田舎の夜は暗い。その日は月も出ていなかったのでなおさらだ。身動きもとれない状態になって、しばらくの間、途方にくれていた。すると、少しづつだが暗闇に目が慣れてきた。よかった、道まで引き返そうと足を踏み出した瞬間、自分の正面、数十センチも離れぬ位置に人が突っ立っているのに気付き、ギョッとした。腰が抜けた状態になってしまったそうだ。
ライターを持っていることを思い出し火をつけると、背筋が凍った。20代半ばの女が立っているのだが、両目とも白く白濁していて、口をパクパクさせている。そして、何故か着ている服がAと全く同じなのだ。上は茶色のジャンパーで下はアディダスの3本ラインの入ったジャージ。服からは獣臭さがプンと臭った。そこでいったんAの記憶は途切れる。
気がつくと病院へと向かう道を車を運転していた。あたりは明るい。わけも分からずそのまま病院へ着くと、医者が朝食をとっているところだった。今日は早いなー、と言われ、Aはしばらくぽかーんとしていた。どうも気付かないうちに一晩たっていたらしい。しょうがないので、そのまま働き始めた。
すると、物を持つ時に両手が引き攣ったように痛む。何故だろうと、手を見て吃驚した。両手とも、指と指の股の部分の肉がサイコロひとつ分ほどづつえぐられて、なくなっているのだ。それを見たとたん、物凄い痛みに襲われて、たまらず医者のところへ駆け込んだ。
治療してもらおうとすると、おまえ唇どうしたんだ、と医者が驚いた様に言う。鏡で見ると上下の唇の肉がくちゃくちゃに噛み潰されたような酷い有様になっている。
よく顔を見ると耳たぶも、やわらかい部分の肉がほとんどえぐられて無くなっていた。こちらも気付くと同時に凄まじく痛み始めたそうだ。なんか尻切れトンボだが、話はここまで。今のところ、特に後日談もない。おばさんにも竹やぶであった女にも、その日以来一度も会わなかったそうだ。
このあいだ久しぶりにAと会ったが、唇の傷はまだちょっと残っていた。耳たぶはなくなったままだ。 Aは、狐に化かされたなどと時代錯誤なことを言っている。
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医師には通報義務が無かったっけ