変わり果てた姉

友人らと宅飲みをしていた時、オカルト好きな伊藤(仮名)が「怪談大会をしようぜ」と言って、それぞれが知っている話をしていた時に伊藤から聞いた話だ。
伊藤は話をする前置きとして、「これは俺の知り合いから聞いた作り話なんだが……」と言って話し始めた。

とある県のさらに田舎の集落に住んでいた男の子の話だ。
その子には祖父、父、母、姉の4人の家族がおり、それ以外に家には女中が3人と、寝泊まりしているわけでは無いが隣に住んでいる分家の男2人、つまり親戚がいつも祖父についていたそうだ。
ここまで聞くとわかると思うが、男の子の家はその辺りでは知らない人がいない名家だった。名家にはよくある事なのかもしれないが、その家では家長である祖父が絶対だった。母はよそから嫁いできた人間だからかそれ程ではないが、父や分家の人間は誰も祖父に口答えせず、話す時も敬語だった。

そんな家で育った男の子が15歳になった時、いつもは学校が終わってすぐ帰るはずの姉が、夕飯の時間になっても帰って来なかった。その家では夕飯の時間は決まっており祖父が席につく前には皆が先に席について待っていなくてはならなかった。しかし姉は一向に帰って来ず、横にいた母は心配なのかとてもオロオロとしていた。そしてついには、分家の男を連れた祖父が来てしまった。空席を見た祖父は入り口で立ち止まり、父に向かってどういう事だと冷たい声で言った。
父は緊張した面持ちで、姉が帰って来ていない事、連絡もつかない事を告げた。




すると祖父はしばらく考え込んだのちに分家の男達に何事か伝えると「お前達はここで待て」と言って出て行った。待てと言われた残りの家族は言われた通り待っていた。母は相変わらずオロオロとしており、父に何か話していた。二時間程経っただろうか、玄関の方から父の名を呼ぶ分家の男の声がした。その声が怒鳴り声に近かった事もあり、何事かと家族全員で玄関に向かった。そこには祖父と分家の男2人と分家の人間が数名、そして変わり果てた姉が居た。

姉は顔面を酷く殴られたように変色しており、服は破かれ、表情は虚ろだった。母はそれを見て卒倒し、父は驚いた顔をし、卒倒した母を支えながら姉の名前を呼んだ。男の子はほぼ裸に近い姉がどういう目にあったのか察していたが、信じられずに唖然としていた。祖父は女中に姉を預け、何事かつげると父を呼び、分家の男達を連れて奥の間へ消えて行った。男の子は倒れた母に付き添いしばらく茫然としていたが、女中に促され自室へと戻った。
その後、女中が食事を持って来たが食べる気にはならず、眠る事もできず、朝が来るまで考え事をしていた。姉と男の子は一つの部屋だったが、その日に姉は戻って来なかった。

朝になり、男の子は母の部屋へ向かった。部屋へ入ると母は姉を寝かせており、声を殺して泣いていた。部屋に来た男の子に気づいた母は男の子を抱きしめ、姉が辛い目に遭い、おかしくなってしまったと言った。その声に気づいたのか、姉が起きて男の子と母を見た。その目は虚ろで、普段しっかりしていた姉とは思えないもので、男の子が姉を呼んだが返答もせず、ブツブツと何か言って再び横になった。母はそれを見て泣き崩れてしまい、男の子はそこにいるのが苦痛になり部屋へ戻った。しばらくして父が来た。そして、姉の事は誰にも言うなと告げると出て行った。

その後も姉はよくならなかった。家族の呼び掛けにも返答せず、ただ虚ろで時折何か言っていた。そんな状態で一週間近くが経とうとしていた。男の子が夜に奥の間のそばを通ると、母の怒ったような声が聞こえた。何事かと思ったが、奥の間には普段より祖父と父、分家の男2人以外は入るなと言われていたので、男の子は入れずに、その場で聞き耳を立てていた。しかし、奥の間へは渡り廊下のようなものを挟んでおり、母の怒鳴り声が微かに聞こえるのみだった。次の日の夜中、布団に横になっていると父が来た。父は姉を呼んだが姉は返答せず、父は姉の体を起こしどこかへ連れて行った。朝になり、戻って来なかった姉を気にしていると父から呼ばれた。ついて行くと祖父が待っていた。男の子が席につくと祖父が話を始めた。そこで聞かされた話は、男の子にとってあまりにもショックだった。

母が姉を連れて出て行った。2人の事は忘れろというのだ。男の子はあまりのショックにその後の事はよく覚えていないが、あんなに優しかった母が姉だけを連れ、自分を置いて出て行った事を知り、裏切られた気分になった。後で女中から内緒で預かったという母の連絡先を渡されたが、裏切られたと思っていたので連絡しなかった。それから男の子はグレた。今まで祖父や父からやるなと言われた事をあえてやった。父からは殴られたが一向にきかず、完全にやけになっていた。

それから一ヶ月程経ち、部屋から外を見ていると、庭先で袋を持った分家の男が蔵に入って行くのが目に入った。蔵は子供の頃から近づいてはだめだと言われていた。グレていた男の子は、蔵を荒らしてやろうと考えた。蔵には鍵がかかっているが、幸い男の子は鍵が仏間にある事を知っていた。夜になり、仏間から栓抜きのような鍵を持ち出すと、家の者に気づかれないよう蔵へ向かった。蔵の鍵を開け、中へ入ると埃っぽかった。

暗かったが、タバコに手を出していた男の子はライターを取り出し周りを確認した。中には農具と思われるものや、謎の道具が沢山あった。奥へ行くと、床にそこだけ埃が少なく、よく見ると取っ手がついた扉があった。男の子はなにも考えずに開けたが、そこには下に続く階段があった。
男の子は降りてみる事にした。

降りるとそこは想像以上に広く、上とは違い物がほとんど無く、ランプのようなものが壁についており明るかった。前へ進むと途中から道が狭くなっていた。その狭くなった道に差し掛かった所で男の子は固まった。そこには座敷牢があり、中には人がいた。それはまさしく姉だった。男の子は姉を見て驚いた。姉の名を呼んだが、姉はこちらを見て怯えている様子だった。男の子がしばらく姉に呼び掛けていると、ドアアアアアアアアア!!ヒャアアアアアアアアア!!といった叫び声がすぐそばで聞こえた。

男の子は腰が抜けそうになりへたり込んだ。声の主はすぐにわかった。隣にも座敷牢があり、そこに髪がぼうぼうで毛だらけの男がいた。毛だらけ男は男の子のほうをじっと見ており、ウオオオオオと騒いでいた。怖くなった男の子は蔵を飛び出し家へ向かったが、家の者にバレるのも恐れていたため、鍵の事を思い出し、戻って鍵を閉め、仏間に鍵を戻し、自分の部屋へ戻った。蔵の地下にあんな場所があった事、姉がいた事、毛だらけの男の事、分家の男は2人の世話をしに行っていたのか等を考えていたが、答えは出なかった。ふと母親の連絡先の事を思い出した。母なら何か知っているだろうかと思い、連絡先が書かれた紙を持って家を飛び出した。

家から十分ほど離れた公衆電話まで来た。そこで書かれた連絡先に電話をした。夜遅い事もありなかなか出なかったが、しばらくして『もしもし』という不機嫌そうな声がした。それは母がたの祖母だった。男の子が自分の名を告げると、祖母は驚いたようだったがとても喜んでくれた。男の子は祖母の話を適当に切り上げ、母はいるかと聞いた。祖母が少し待てといって、しばらくすると母が出た。母は嬉しそうで涙声だった。

男の子は母に、先程見た光景について話した。すると母は険しい声になり、『それを家の者に言ったか?』と聞いた。言っていないと言うと、絶対言ってはならないと言われた。それから、母は『見てしまった限りは教えたほうがいいね』と言ったが、その場では長くなるからと話さなかった。
そして母は、あの家は異常だから男の子も危ない、母親と一緒に暮らそうと提案してきた。男の子は嬉しかった。

すぐに提案を受け入れると、母はその後の段取りについて説明した。母は自分の実家へおり、そこへ男の子を呼びたいが、跡取りを連れて行かれたら祖父は必死に探し連れ戻しに来るだろうから、二人で別の所に住もう。住む所の準備に少しかかるが、こちらから連絡しても取り次いでくれないから、一週間後に家から少し離れた寺で待ち合わせよう、との事だった。男の子が分かったと伝えると、母は気をつけてねと言って電話を切った。男の子は戻りたくなかったが、母との計画を前に問題を起こしたく無かったため、仕方なく家に戻った。

その日から男の子は部屋へ閉じ籠った。学校にも行かなかったが、父や祖父はもはや何も言わなかった。そして、母との約束の日が二日後に控えた時だった。夜中に父がやってきたのだ。父は男の子の名前を呼んだが、男の子はそれどころでは無かった。父は子供にあまり興味の無い人で、部屋へ来る事はほとんど無く、それも夜中に来たのは、前回姉が連れて行かれた時だけだった。男の子は自分もあそこへ入れられるのだと直感した。今まで自分は跡取りだから馬鹿をやっても大丈夫だろうと思っていたが、そんな考えは今の状況では完全に頭から消えていた。

父は返事の無い男の子に近づいて来た為、男の子はあわてて返事をした。そうすると父は来いとだけ言った。
焦った男の子は考えた。トイレから逃げよう。男の子はトイレに行きたいから先にトイレへ行かせてくれと言った。父は渋っていたが、何度も言うと了承した。
男の子はトイレに行くと鍵を閉め、音がでないようそっと窓を開けた。幸いな事にトイレの窓はかなり大きかった為、すんなり抜け出せた。

外に出ると男の子は正門へ向かった。しかし、そこに人の気配がし、陰から覗き込むと分家の男たちがいた。
男の子はゾッとした。分家の男たちが、おそらく父と男の子を玄関前で待っていたのだ。男の子は正門を諦め、裏門へ向かった。途中裏門にも人がいたらと思い泣きそうになったが、幸い人はいなかった。裏門を出た男の子は走った。とにかく家から離れなくてはと無我夢中だった。

途中にある田んぼ道は障害物が何も無く、遠くからでも丸見えだった為、見つかる事を想像して気が狂いそうだった。夢中でしばらくの間走り、隣町まで来た所で男の子は母親へ電話した。紙はあの時から肌身離さず持っていた。母が電話に出て、男の子が息を切らしているの聞き、我が子の緊急事態を察したのか、『どこにいる?すぐに迎えに行く!』と言って場所を聞いて切った。しばらくして母が車で来て、男の子を車に乗せるとすぐに発車した。

車には運転をしている母の兄(叔父)と母の父(祖父)も乗っていた。男の子は安心し、母に抱きしめられたまま眠ってしまった。気がつくと母の顔が見えた。布団が掛けられ寝ていたようだ。起き上がり当たりを見ると、どこかのマンションかアパートのようだった。母は、「これからはここで暮らすのよ。ここは今までの家がある所とはかなり離れている所だから、祖父達に見つかる事はないから安心して」と言った。

その後、母は父から色々と聞いていたようで、姉や毛だらけの男について話してくれた。あの場所は、あの辺を仕切っていた先祖が、犯罪者や時には自分に従わない者を閉じ込めていた場所である事。姉は恐らく祖父に怨みを持った人間から、暴行を受けて精神を病み、それをよしとしない祖父があそこへ閉じ込めた。母は姉を助けようと祖父に詰め寄り、家を追い出されたとの事。毛だらけの男については母は存在を知らなかったようだが、考え込んだ後、分家に行方不明になった人がいたと聞いた事があるので、その人じゃないかとの事だった。また、母は姉を助けたいが、祖父達はそれを絶対に許さず、警察にも繋がりがある祖父なので、警察に訴えても動いてくれないばかりか立場が悪くなるであろう事を話し、男の子を抱きしめて泣いた。それから10年程が経った。

母と暮らし始めた当初は、母の実家にも祖父の使いが押しかけてきたりしたが、今では諦めたのか何事もない。あれからずっと男の子は、姉をあんな状態で放って自分は母と幸せに暮らしている事に負い目を感じていたが、最近になって母の実家から(父がたの)祖父が亡くなったらしいとの連絡を受けた。「それを聞いた男の子はどうしたと思う?」と言った所で伊藤の話は終わった。

俺達は姉を助けに行ったんじゃとか言った後、伊藤に顛末を聞こうとしたが、知らないと言って笑っていた。なんだよーと当時は二人でブーブー言っていたが、最近になって伊藤の家に遊びに行った時に、伊藤の家が母子家庭である事を、ちらりと伊藤のお母さんが言っているのを聞いた。そしてあの時の話を思い出し、あの男の子は実は伊藤なんじゃないのかと思った。考えているともう一つ気になる事があった。伊藤は自分で、今の家があるX県の出身だと昔から言っていた。しかし、驚いた時に「あきゃっ」と言ったり、酔っぱらった時のイントネーションが、X県地方では聞いた事がないようなものだった。
酔っ払った勢いで一度だけ聞いたが、笑って否定された。

それ以降はその話は一切聞けないでいるが、俺は今でも伊藤があの男の子だったんだと信じている……

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