「とーきのぼー」の正体とは

埼玉県西部にある国道の整備で、道沿いの山の中に管理事務所立てて夜間も作業してた。夜勤以外の大半の者は家に帰ったり、近くの町のビジホとかに泊まった。俺は元請の責任者とこの事務所に寝泊りしてた。

夜勤のある平日は夜中も誰かしら事務所にいて何事もなかった。それでも作業が休みの日もあるわけで、一日中誰もいない。責任者も帰っちゃって、俺だけが残った。国道って言っても山の中を通ってるから、交通量は多くない。夜はたまに走り屋みたいなのとトラックがまばらに走ってるだけ。ひとり残されるとけっこう怖い。

昼間、近くのコンビニに行って、食料とか酒とか雑誌なんかを買出しして夜に備える。管理事務所はよくあるプレハブの二階建て。一階が休憩所で、二階が会議室兼仮眠室になってる。その日は夕方まで作業場を見回ったり、国道を見張ってる警備員のおっさんとこいって雑談してた。そん時、休日夜間の警備はつかないって聞いて、完全に俺だけかよってちょっとビビッた。

夕方六時頃、警備のおっさんがハンコもらいにきて、ビビッてた俺はまた雑談しようとしたが、おっさんは「いや、早く帰りたい」と言ってそそくさと帰っちゃった。帰りぎわ、「夜は早く寝なさいね」なんてお母さん的なことも言ってた。でもなんか表情がやけに硬く、いつものやんわりとした空気じゃなかったのでよく覚えてる。

日も暮れて辺りはすっかり暗くなって、一階の休憩所で買っておいたメシを食う。それから雑誌をペラペラめくりながら缶ビールを飲む。半分くらい飲んだとき、外で音がした。鉄でできた機材の上に小石が降ったような、カンカンカンて音。それほど大きな音でもないがはっきり聞こえた。
俺はその音を無視した。

しばらくしてまた同じ音がした。さすがに無視できなくなり、見に行くことにした。何かあったら俺の責任になる。ライトを持ち、事務所を出て音のする方に歩いていくと重機と機材が積んである空き地がある。誰かがいたずらで小石でもばら撒いたのかと思ったが誰もいない。その辺を一回りしたが変わったところは無かったので戻ろうとした。

そのときガサガサっ!てヤブを掻き分けるような音がしたんで、びっくりして振り返った。人がいた。スーツっていうか背広をきたおっさん。背が高く、180くらいは余裕でありそう。顔をチラッとみたが、目が大きいくらいしか特徴の無い普通のおっさん。こいつの仕業だと思った。

「だれ!?」って俺が聞くと、無視してまたガサガサと草木を掻き分けて山の方に入っていく。俺はおっさんを追った。
「おいおい待てよ!」
するとおっさんはヤブの中で立ち止まり、向こうを向いたままぶつぶつしゃべってる。
「え?なに?こっち向きなよ」
頭のおかしいおっさんが入り込んだと思った俺は、嫌になりながらも近づいていった。よく聞き取れなかったんだが、おっさんはたぶん「とーきのぼー とーきのぼー」って繰り返しつぶやいていた。
「え?何いってんの?」
俺はおっさんの頭をライトで照らした。そのとたん、おっさんはものすごい勢いで山の中に入っていっちゃった。

気味が悪かったのでそれ以上追う事はせず事務所に戻った。しかし、外にあんな気色悪いおっさんがいるので眠れなくなった。それから何かあったら嫌なので、責任者に電話をかけ、先ほどの出来事を伝えた。
『うん、まあ変人だろうな。たぶん何もないだろうから大丈夫だよ』
人ごとのように言われて終わった。俺は例の『とーきのぼー』がやけに気持ち悪く耳に残り、怖かった。で、仲のいい同僚に「おい、なんか変なのいるから来てくれよ」って電話した。最初は、ねみーとか、めんどくせーとか言って断ってた同僚だが、俺がしつこく頼み込んだので空気を察してくれたのか来てくれることになった。

人を待つってのはやけに時間が長く感じる。30分くらい経ったと思って時計を見るとまだ5分しか経ってなかったり。時間は夜9時を回った。そろそろ同僚がくるはずだった。でも来ない。ぜんぜん来ないから電話した。留守電になる。しばらくしてまた掛けるが留守電。

変な妄想が頭をよぎる。もしかしてここにくる途中事故った?やばい気持ちがそわそわして落ち着かない。そんな感じで一階の休憩所でタバコをふかしていたら、外で「ぎゃーーー!!」とか「わあああ!!」とか奇声が聞こえた。びびりまくりの俺だが、外に飛び出る。すると、またもあのおっさんが奇声をあげて走り回っていた。ついでに、いつの間にか濃い霧が出ていた。

こりゃ警察に通報だと思い携帯を取り出すと、おっさんがわめきながらが突っ込んできた。
「たーすーけーてえええ!!」
助けてもらいたいのは俺の方なのだが、おっさんの青白い鬼気迫る顔に動揺した俺は携帯を落としてしまった。次の瞬間、突っ込んできたおっさんは俺の携帯を踏んづけた。バキっと携帯が折れた音がした。俺の頭の中でも何かがプチっと切れた音がした。

「てめえ!」とか怒鳴っておっさんの腕を引っ張った。おっさんはそのままの勢いで倒れこみ、俺は携帯を拾い上げた。完全に折れていて、液晶画面も割れていた。

おっさんはおびえた顔で俺を見上げている。
「なにしてくれてんだよ」
「はやく!はやく!」
会話になってない。おっさんは早く早くと言うだけだ。頭にきていた俺は「うるせーな!」っておっさんを掴みあげようとした。
「だああめえええ!」
おっさんは大声でそういって俺の手から逃げて立ち上がり、また走りだした。国道の方におっさんは走って行き、俺は追っかけた。

濃霧で工事用の照明もぼんやりして足元がおぼつかない。こんな山の中で狂人と追いかけっこしても仕方ないので俺はあきらめた。とにかく異様な状況でおっかないし。国道の方でおっさんがまだわめいている。
「わあああ!!くるなああ!!」とか聞こえた。

何から逃げてるんだあのおっさんは?シャブ中かなにかか?そんなことを考えていると、ひと際でかい声で「とーきのぼおおおおおおおお!!!」って聞こえた。
その瞬間、どしーん!!と地響きがした。次に車の急ブレーキ音がした。
鳥肌が立ち、嫌な予感しかしなかった。恐る恐る国道の方に向かう。すると車のヘッドライトが近づいてきた。同僚の車だった。急ブレーキをかけたのは同僚だった。

俺は同僚の顔を見て安堵した。
「さっきのどしーんって音、なんだったんだ?」
俺が同僚に聞くと、すぐそこの国道に落石があったという。しかもかなりでかい岩が落ちてきたらしい。「あぶなかったのか?」と聞くと、霧で落ちてきた岩が見えなくてぶつかりそうになっただけ、と笑っていた。それで、「背広着たおっさん見なかった?」と聞いたが、見てないようだった。

そういえば、おっさんの奇声がピタリと止んでいる。まさか落石に潰されてないだろうなと思い、見に行った。幸いにも潰された痕跡はなかった。また落石があるとも限らないので早々に事務所に戻ろうとした。その時、同僚が「あの霧なに?」って聞くので指差す方を見ると、何かでかい人のような形をした霧がゆっくり歩くように闇の向こうに移動していく。
「とにかく早く事務所に行こう」
すっかり怖くなった俺は同僚を急かして事務所に戻り、眠れない夜を過ごした。

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