事故車の呪い

私の大学時代の友人でとにかく車好きの者がおり、大学入学と同時に講義にほとんど顔を出さず車を買うためにバイトに明け暮れる毎日を過ごしていました。数ヶ月がたった頃、ほしかった車が中古で買えたと報告があり、駆けつけてみると外見は非常にきれいな状態の日産シルビア(CA18DETの改造車)でした。

当時この車種の中古価格は最低でも160万円くらいはしていましたので、いくら熱心にバイトをしたといってもこの短期間に稼げるお金ではないはず。値段を聞いてみるとなんと108万円だったというのです。相場を考慮すると明らかに事故車です。しかし、友人はこの車を大変気に入っており、以前にも増して大学に来ず、毎晩 山へ走りに行っていました。

ある日、友人は妻子持ちのバイト仲間を誘って六甲山を攻めにいっていましたが、調子に乗ったのかオーバースピードでコーナーをまわり、ガードレールを突き破って20m下の崖下に転落しました。二人は即死ではなかったのですが、助手席に乗っていたバイト仲間は肺を強打し破裂したため「胸が痛い、胸が痛い…。」と言いながら、血のせきを吐きながら死んでいったそうです。

その話をしていた、運転手であった友人も約1ヶ月後退院しましたが「あの人に悪い」が口癖になり、次には「死んでいるのが俺だったらよかった」と言うようになりました。車が修復され、またその車に乗るようになってから、それはすぐに現実となりました。何でもない、まっすぐな直線。信号待ちをしていた友人の車を目がけ交差点を左折してきたトレーラーの下敷きに。友人は外傷はほとんどない状態だったのですが、打ち所が悪く死亡。その現場には、よく花を供えに行ったものです。

それから5年後。女性の友人を乗せ車で私がその現場を通りかかった時です。何の気なく「この現場で友人のYが亡くなってから5年もなるね…」そう言いました。助手席のM子が「そうだね」といったと同時に、男の声で「そうだね」と話しかけてきたんです。私達二人は驚いて後部座席を見回しましたが、当然誰もそこには居ませんでした。

その声は明らかに亡くなった友人Yのものだったのですが、それ以降、その現場を通りかかる度に独り言のようにYに話しかけるのですが、返答はありません。徐々に忘れられつつある自分の存在を思い出させるためにあの世から話しかけてきたのでしょうか?

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