海に囲まれた千葉県は、昔も今も漁業が盛んな地域である。
海は多くの富を千葉に住む人々に授けてきた。まさに恵みの海である。
しかし、海は富を授けるものだけではない。
優しいその顔の裏には、人の命を奪う恐ろしいもうひとつの顔があるのだ。
特に漁師たちは、板一枚の下は地獄と言われたように、大変危険な仕事であった。
近代整備の整った今でも、遭難する可能性がある海である。
当時の人力による船で海を渡る人々の気持ちは、いかほどであっただろうか。
当然、海に纏わる妖怪は沢山いる。その最も有名なものは、『海坊主』ではないだろうか。
巨大な坊主頭の姿で突如海面に姿を現し、漁船を転覆させたり、漁師を脅かしてみたりする妖怪であり、
広く全国で怖れられている、海の代表的な妖怪である。
お盆或いは、月末とか出る日が決まっていると言う地方もあり、
その日は漁師はみな仕事を休んだと言われている。
その正体は海で死んだ者の霊魂だとか、魚が集まったものだとか言われているが判然としない。
しかし、現代でも『ニューネッシー』や、『カバゴン』、『シーサーペント』など、
海のUMAと看板を書き換えて、妖怪『海坊主』の子孫ともいえる怪物たちは健在である。
また、『船幽霊』も有名な海の魔物である。
これは文字通り、海で亡くなった人の怨霊であり、
生者を死者の仲間に引き入れるべく、「柄杓を貸せ」と船上の人にねだる。
しかし、ここで柄杓を与えてはいけない。
貸したその柄杓は、たちまち数百の柄杓となり、船に海水をいれて沈めてしまうのだ。
お墓の死者に柄杓で水をやる我々生者に、柄杓の水をかける事で死者にしたてるのであろうか。
なんとも不気味な妖怪であるが、いまも水死者の怨霊は、生者を黄泉の国に誘う事例はあるのだ。
心霊談などで水泳中に足が何者かにつかまれたので、水中にもぐって見てみると、
溺死体が足をがっちりつかんでいたとか、昔の服装をした亡霊がしがみついてきたとか、
その手の話は枚挙にいとまがない。
海は魔物の巣窟なのだ。
他にも、顔が坊主で体が亀の『海和尚』とか、座頭姿で海上にぬーっと出て驚かす『海座頭』とか、
突如海上で船の行く手を阻む『海ふさぎ』や、船の進行をはばむ『シキ幽霊』など、海に住む妖怪は大変多い。
これは海で仕事をする人々、海を移動する人々に、
いかに多くの妖怪・妖怪現象という奇妙なものが、目撃されてきたかを裏付けている。
海という無限にすら感じる単調さに、或いは暴君とも言える荒々しさに、
人の心は『妖怪』というスケープゴートを設定したのだ。
『黒入道』は、千葉の沿岸に伝えられる妖怪である。
一説には、海で死亡した人間の魂が、自宅に帰ってくるものと言われており、
深夜に妖しいものが、戸を「とんとん」と叩くものであるという。
その姿は黒づくめで人相すらはっきりしないが、人の形をしているという。
海で死んだその家の主人が、懐かしくて帰ってくるのだが、決して戸を開けてはいけないと言われている。
いくら懐かしくとも、死者と生者の境目は分けなければいけないのだろうか。
この決め事は、イザナギの頃からの慣習である。黄泉の国の住民は、この世に帰ってきてはいけないのだ。
『黒入道』のノックは、現世へのノックなのかもしれない。